東前頭8枚目の隠岐の海(34=八角)が、際どい勝負を制して3敗を守り、島根県出身として初優勝へトップタイで千秋楽に臨む。

小結遠藤との投げの打ち合いは、先に土俵に手がついたが、その前に勝負あり。遠藤の左足が先に出ており、負けたと思って土俵を降りようとしたが、寄り切りで自己タイの11勝目を挙げた。御嶽海、貴景勝の両関脇も勝って3敗を死守。優勝争いは3人に絞られた。

   ◇   ◇   ◇

投げの打ち合いで、先に落ちたと分かった隠岐の海はぼうぜんと土俵で正座した。直後に一礼し、土俵を降りかけた。すると行司から呼び止められた。逆に遠藤は勝ったと思って勝ち名乗りの体勢。「最後の投げで負けたと思っていた」。何が起きているか、まったく分からなかった。投げの打ち合いの前に隠岐の海が寄った際、俵で弓なりになった遠藤の左足が土俵外へ。直後に審判部の竹縄親方(元関脇栃乃洋)が「勝負あり」と手を挙げていた。

遠藤の左足が土俵を割ったかどうかは、テレビ中継のスロー再生でも微妙だった。竹縄親方は取組後「かかとが出たと思ったから手を挙げた。それだけ。そりゃ、際どいよ」と話した。手を挙げたのは隠岐の海も気付いていなかったが「前に出ていたのがよかった」と、攻めの姿勢を貫いたことを勝因に挙げた。それでも人気者の遠藤相手の際どい判定に、場内は騒然となり「肩身が狭かった」と、苦笑いするしかなかった。

師匠で相撲協会理事長の八角親方(元横綱北勝海)は、優勝力士が持つタイなどの準備について「一切していない。するつもりもない」と手厳しい。だが「必死さが伝わる相撲だった」と認めもした。同親方は常々「優勝力士を育てたい」と話していた。理事長が師匠の部屋としては、時津風理事長(元横綱双葉山)時代の63年(昭38)名古屋場所、大関北葉山から優勝が遠ざかる。理事長業と師匠が両立できることを証明すると同時に、島根県出身初優勝という快挙もかかる。

隠岐の海の3度の優勝次点は、すべて11勝4敗で優勝は横綱白鵬。だが今場所は白鵬が休場。千秋楽は貴景勝と対戦する「割崩し」に導いた、今場所の混戦の立役者は「弱い自分が出ないように」。34歳のベテランが、新境地に突入しようとしている。【高田文太】

◆優勝の行方 御嶽海、貴景勝、隠岐の海に絞られた。御嶽海が敗れれば、貴景勝と隠岐の海の勝者が優勝。御嶽海が勝てば決定戦にもつれこむ。御嶽海は優勝へ連勝が不可欠。