前頭17枚目徳勝龍(33=木瀬)が結びの一番で大関貴景勝(23=千賀ノ浦)を破り、貴闘力以来20年ぶり2度目の幕尻優勝を達成した。

優勝を記念して、2000年の貴闘力の史上初の幕尻優勝を紙面記事で振り返ります。

 

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<大相撲春場所>◇2000年3月26日◇千秋楽◇大阪府立体育会館

東前頭14枚目貴闘力(32=二子山)が、史上初の幕じり優勝を飾った。勝てば優勝、負ければ決定戦にもつれ込む雅山(22)との大一番。土俵際まで攻め込まれながら執念で回り込み、最後は送り倒した。初土俵から103場所、入幕から58場所は過去の記録を大幅に塗り替えるスロー記録。32歳5カ月の年齢も、年6場所の1958年(昭33)以降の最高齢記録となった。殊勲賞、敢闘賞も獲得。土俵生活18年目で花を咲かせ、涙、涙の初賜杯だった。

 

貴闘力 13勝2敗(送り倒し 4秒6)雅山 11勝4敗

 

子供のように泣きじゃくった。武双山に力水をつけながら、花道を引き揚げながら、そしてインタビュールームで。貴闘力は、何度も青い手ぬぐいを両目にあてた。「泣くなんて、絶対オレはないだろうなって思ってた」。家族が待つ東の支度部屋。美絵子夫人(25)は「涙を見たのは初めてです」と声を震わせた。長男の幸男君(5)も「アイスが食べたい」と泣きじゃくっていた。

「運がよかったとしか言えない。本当に夢のようで、オレみたいのがとってええんかなみたいな」。史上初の幕じりの快進撃は、フィナーレも劇的だった。雅山の強烈な突き放しに後退した。両足が俵にかかる絶体絶命から、執念を発揮した。はねるように右へ回り込み、雅山を送り倒した。

がけっぷちに追い込まれた男の強さだった。持病の痛風、高血圧に悩まされ、気力もなえかけた。幕内58場所目で初めて幕じりまで落ちた。場所前のけいこでは幕下に負けた。引退も覚悟していた。だが、二子山親方(50=元大関貴ノ花)の言葉で消えかけた闘志に火がついた。「師匠にまだ老け込む年じゃない。今からでも遅くないぞ、と言われたのが一番励みになった」。14日目夜には、横綱貴乃花から「緊張しないで思い切りいったらいい結果が出るから、頑張ってください」と激励された。部屋の大きな支えがあって、栄冠を手にした。

「貴闘力」のシコ名は89年3月、新十両昇進時におかみさんの憲子さん(52)が付けてくれた。当初は「貴闘志」だったが、字画を調べて今のシコ名になった。いずれも「ただ暴れるだけじゃなく、道徳を持って闘って」との願いが込められた。それほどの熱血漢だった。今場所も獲得した敢闘賞は通算10回で史上1位。一時は若乃花、貴乃花以上のけいこ量を誇った角界一のファイターが、どん底から奇跡を起こした。

90年秋場所、若乃花と同時入幕だった。その若乃花が土俵に別れを告げた春の土俵に、遅咲きの花が鮮やかに咲いた。弟弟子たちの優勝に、ひそかな思いもあった。「いつかは自分もと……。幕内で優勝するのが夢でした」。初土俵から所要103場所、入幕から58場所、そして32歳5カ月の最高齢。長い苦労を裏付ける記録ずくめの初優勝には、大粒の涙が似合った。【実藤健一】

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◆同級生柔道古賀「俺も」

貴闘力の優勝は、4度目の五輪出場を狙う「平成の三四郎」の奮起を促すことにもなった。バルセロナ五輪柔道71キロ級金メダリスト古賀稔彦(32、慈雄会)は、優勝の瞬間をテレビでしっかり見届けた。2人は同い年で、古賀が東京・弦巻中、貴闘力が福岡・花畑中の3年時、全国中学柔道大会団体戦で対戦した縁がある。直接対決はなかったが、古賀にとって貴闘力は気になる存在で、角界での活躍も注目していた。

右足首のねんざに苦しむ古賀は、五輪代表最終選考会となる4月2日の全日本選抜体重別(福岡)に強行出場する。今回挑戦する81キロ級の代表の争いはライバルたちと横一線。優勝者が代表になる可能性が高い。今場所の貴闘力の相撲に力づけられた古賀は「その年齢に応じた集中力とテクニックを発揮すればやれるんだということを証明してくれた。僕も柔道界でそれが証明できるようにしたい」と決意を新たにしていた。

(2000年3月27日紙面から)