大相撲力士の勝武士(しょうぶし)さん(本名・末武清孝=すえたけ・きよたか)が、新型コロナウイルス感染の影響で13日に28歳で亡くなった。勝武士さんは相撲の禁じ手などを面白おかしく実演する「初っ切り」を、巡業などで担当していた。初っ切りで最初の相棒を務めていた元高三郷の和木勝義さん(30)に話を聞いた。【聞き手=佐々木一郎】

勝武士さんとコンビを組んでいた和木さんは、訃報に触れた後、ツイッターに「ほんとかよ 嘘だと言ってほしい」と苦しい胸の内をつぶやいた。「直接お別れできないのがかなり辛い」とも。

勝武士さんが亡くなり、メディアでは初っ切りを担当していた時の写真や映像が多く紹介された。コンビを組んでいたのは、元幕下高三郷の和木さんだ。故人をしのんだ後、電話インタビューに応じてくれた。

-勝武士さんは高田川部屋、和木さんは東関部屋の所属でした。同じ部屋の力士で初っ切りを務めることが多いのですが、なぜこの2人がコンビを組んだのでしょうか

和木さん 大山親方の付け人として巡業に出ていた時、(初っ切りの)1組がなくなったんです。それで、大山親方から『やってみないか?』と言われました。同じ部屋に、ちょうどいいサイズの人がいなかったのですが、高田川部屋の行司さん、今の伊之助親方ですが、『うちに勝武士がいるよ』と紹介されました。

-初っ切りは体格が異なる大型力士と小兵のコンビが一般的なので、勝武士さんとはサイズ感が合ったのですね。2014年4月の神奈川・藤沢市巡業で初めて初っ切りを披露しました。準備期間はどのくらいありましたか

和木さん 半年くらいでした。

-それまで面識はあったのですか

和木さん 対戦もありましたし、しゃべったこともありました。練習は主に夜です。ウチの部屋まで来てくれました。部屋が違うのは大変でしたね。最初はもう1組の動きを見て覚えて、徐々に大山親方に教えてもらったり。1年くらいたってから、自分たちで新しい動きを考えたりしました。

-高三郷、勝武士のコンビならではの動きはありますか

和木さん 最後にハリセンで自分が切られて、『パン』とたたかれるところですかね。その時に流行っていたネタや、その地方に合う言葉を入れたりもしました。例えば、(長野県)松本市の時は、地元の大きな病院の名前を出したり。その都度、考えていました。

<(下)に続く>