大相撲の元関脇栃煌山(33=春日野)が15日、現役引退と年寄「清見潟(きよみがた)」の襲名を発表した。春場所で負け越して2度目の十両陥落となっていた。元横綱稀勢の里(現荒磯親方)らと同じ昭和61年度生まれで「花のロクイチ組」として、三役在位は通算25場所。賜杯には届かなかったものの12年夏場所には優勝決定戦を経験した。今後は春日野部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。

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-12年夏場所の優勝決定戦を振り返って

栃煌山 何も考えずに、しっかり一番一番取っていたら優勝決定戦まで進むことができた。自分の弱さ、甘さが出て最後の一番は勝つことができず優勝を逃した。そこからもう1回あの場に立てるようにと、それが原動力になった。今ではいい思い出だと思う。

-同学年の存在

栃煌山 同い年の力士と当たるときは余計に気合が入る。そういう力士がいて頑張ってこられた。

-「栃煌山」という力士が貫いた信念とは

栃煌山 前に出る、それが自分の相撲。逃げずに、苦しいときでもまっすぐ自分の相撲を取りきろうと心を持っていた。

-部屋の関取と話したか

栃煌山 栃ノ心、碧山ともはじめは残念そうな感じで「まだまだやれますよ」と言ってくれた。今は「お疲れさまでした」と。(2人には)本当に頑張ってもらいたい。