角界にWで衝撃が走った。日本相撲協会は11日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、高砂部屋付きの親方で、昨年12月まで師匠を務めていた先代高砂親方の錦島親方(65=元大関朝潮)の退職を発表した。

同協会が作成した新型コロナウイルス感染対策ガイドラインに違反したためで、錦島親方は責任を取るため既に今月1日、退職願を提出。前日10日、協会側が錦島親方本人と面談の上、退職願が受理された。コンプライアンス委員会の処分意見では「報酬減額の懲戒処分とすることが相当」と判断し、補足として「停年再雇用後の参与という立場を鑑み、退職願を受理することも検討すべき」と答申していた。退職願を受理したことで日本相撲協会としての処分はなく、角界を去ることになった。

くしくも、5月の大相撲夏場所中、高砂部屋所属の大関朝乃山(27)に、不要不急の外出が禁じられていた場所前のキャバクラ通いが発覚。その愛弟子の処分を待っているタイミングで、入門時の師匠だった錦島親方の違反が重なった。

事案を受け、八角理事長(元横綱北勝海)がコンプライアンス委員会に調査と処分意見を委嘱。同委員会の調査によると錦島親方は、昨年7月、11月、今年1月、3月の各本場所13日目に、観戦に訪れた知人らと飲食を伴う会食を、付け人同席で行っていた。昨年末には家族らとの会食に朝乃山も同席させ、それ以外でも週に数日、付け人を同席させ、部屋近隣の店で飲食していたという。

コンプライアンス委員会の意見は、師匠交代後も部屋の自宅に居住していたことから、自らの言動や生活を律することが求められるにもかかわらず、外出禁止に背いたことは「あまりにも無責任かつ無自覚な言動は言語道断。指導者としての資質が欠けているといっても過言ではない」と断じた。また、「その言動が朝乃山の不行状を生んでしまった側面もあると批判されてもやむを得ないであろう」と推察もした。

さらに現高砂親方の監督不十分の原因の1つに、師匠交代後も住居を移さなかったことにまで言及。「その点においても責任重大というべきである」と踏み込んだ。「長年にわたり相撲協会の運営に貢献してきたことを考慮しても」と評価した上で、前述の報酬減額の懲戒処分-の処分意見を答申した。4日のコンプライアンス委員会には、朝乃山、高砂親方とともに錦島親方の3人が呼び出され聴取されていた。その後、現在は錦島親方の所有となっている部屋の家主を7月中には、高砂親方に交代することも確認されたようだ。

錦島親方は65歳になる昨年12月に日本相撲協会を定年となることから、同11月26日付で年寄名跡を交換し師匠の座を、先代錦島親方の現高砂親方に譲った。自らは再雇用制度を利用し参与として協会に残り、両国国技館内にある相撲博物館の副館長も務めている。関係者によれば、持病の腰痛や股関節の手術などで約1年前から車いすの生活を強いられているが、最近はつえを使った短い距離の歩行は出来ていたという。

高知県室戸市出身の錦島親方は近大3、4年時に、学生とアマチュアの両横綱を獲得。鳴り物入りで78年春場所、高砂部屋から幕下付け出しで初土俵を踏んだ。83年名古屋場所で新大関に昇進。85年春場所では初優勝も果たした。89年春場所途中で現役を引退。年寄山響として高砂部屋で後進の指導にあたっていたが、90年3月に若松を襲名して若松部屋を継承した。

02年2月には先代と名跡交換して高砂を襲名するとともに、若松部屋の全員が高砂部屋に移籍し、現在の部屋となった。横綱朝青龍を育てたが、管理の甘さなどが指摘されることもあった。朝乃山の初優勝、そして大関昇進から約半年後に定年を迎えたが、その大学の後輩とともに、認識の甘さを露呈することになってしまった。