大相撲で史上最多45度の優勝を誇り、9月30日付で引退した間垣親方の元横綱白鵬(36)が1日、東京・両国国技館で、引退会見を行った。

約20年間の土俵人生で数々の記録を打ち立てた第一人者。引退の決断は、進退を懸けた7月の名古屋場所の10日目だったとし「10勝の目標を達成した時に部屋の皆さんに伝えた」と明かした。今後、宮城野部屋付きの親方として後進の指導に当たる。

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晴れ晴れとした表情だった。変わらぬ横綱の風格を漂わせつつ、間垣親方は会見場に集まった報道陣に一礼。「大変、緊張しています。そしてホッとした気持ちでいっぱいです」と率直な胸の内を明かし、会見に臨んだ。

秋場所千秋楽翌日の9月27日に、日本相撲協会に引退を申し出た。ただ実際は「名古屋場所中の10日目で決めました」。昨年8月に手術した右膝を3月に再手術。昨年11月場所後には横綱審議委員会から引退勧告に次ぐ重さの「注意」の決議を受け、心身共に追い込まれながら臨んだ7月の名古屋場所は「2桁勝利が目標でした」。初日から10連勝したその日に、宮城野親方らに決断を伝えた。「右膝のことを思えば迷いはない」と悔いはなかった。

しかし、名古屋場所後の引退発表とはならなかった。照ノ富士が横綱に昇進。秋場所前には弟弟子らが新型コロナに感染するなどし、機会を失った。感染により、部屋全体で休場した秋場所では、名古屋場所千秋楽で相星決戦を演じた照ノ富士が優勝。「後を託せるなと感じた。バトンタッチというか、ぜひとも照ノ富士関に頑張ってもらいたい」。同じモンゴル出身の後輩にバトンを託した。一方で、粗暴な取り口や審判批判などの発言で、厳しい意見を突きつけられた横綱審議委員会に対しては、「度重なるケガがあり、理想とする相撲ができなくなったというのは反省してます」と謝罪した。

今回、協会からは、自覚ある行動を取るようにといった異例の誓約書付きでの年寄承認となった。「感謝の気持ちと、師匠の元で一から、親方として勉強して頑張っていきたい。優しさと弟子思いの親方になっていきたいと思います」。唇をかみしめ、目をやや潤ませながら、真摯(しんし)に語った親方としての抱負。コロナ禍により45分以内での開催となり、YouTube配信された節目の会見。最後に、参加が各社1人に制限された記者らのささやかな拍手に見送られ、大横綱が、親方としての1歩を踏み出した。【佐々木隆史】

◆白鵬翔(はくほう・しょう)本名同じ。1985年3月11日、モンゴル・ウランバートル生まれ。ムンフバト・ダバジャルガルと名付けられる。00年10月来日、01年春場所初土俵。04年初場所新十両。同年夏場所新入幕。大関昇進した06年夏場所で初優勝。07年名古屋場所で第69代横綱昇進。優勝45回など史上1位の記録が多数ある。通算1187勝247敗253休。金星1個、技能賞2度、殊勲賞3度、敢闘賞1度。19年9月に日本国籍取得。得意は右四つ、寄り。192センチ、155キロ。父ジジド・ムンフバト氏(故人)はメキシコ五輪レスリング銀メダリスト。