ちょうど10年前の2012年5月20日、大相撲夏場所千秋楽。旭天鵬が優勝した。当時37歳8カ月で、初優勝の最年長記録だった。

「早いですね。もう10年なのか…」。旭天鵬は40歳で引退し、現在は大島親方として部屋の師匠になっている。

「あの優勝のおかげで、そこから3、4年現役を続けることができたし、結果的に40代幕内にもなったし。そういう意味ではありがたいよね」

あの夏場所は西前頭7枚目で臨み、5日目を終えて2勝3敗。優勝争いどころか、勝ち越しに向けて必死だった。だが、6日目から10連勝して12勝3敗。東前頭4枚目の栃煌山と優勝決定戦にもつれた。平幕同士の決定戦は史上初。はたき込みで決着をつけた。

花道を戻ると、付け人ら後輩力士たちが出迎えてくれた。みんな、泣いていた。このシーンはのちに、名場面として映像で繰り返された。初のモンゴル人力士として来日してから20年目のことだった。

あれから10年。栃煌山も引退し、清見潟親方となった。あの優勝決定戦について話したことはいまだにない。「勝った方がそんな話をしたら、嫌みっぽいでしょ」。昔話をするよりも、ともに後進の指導に目を向けている。

国技館に飾られていた旭天鵬の優勝額は、今はもう外された。優勝額は32枚が掲額されており、東京での本場所ごとに2枚ずつ新しいものに入れ替えられる。「さみしいね。5年半近く飾ってあって、ずっと見てたんだ。あと何場所で外されるって思いながら…」。

優勝額は今、京都・龍神総宮社にある。化粧まわしを贈ってもらった縁があり、寄贈した。代わりに自宅には優勝額のレプリカがある。「リビングを入ったら目の前に置いてある。何回も優勝した人はあちこちにあるのかもしれないけど、唯一の1枚だからね」。

当時の幕内力士のうち、今も幕内に残るのは高安、玉鷲、宝富士、栃ノ心、隠岐の海、碧山、千代大龍の7人。まだ誰も、当時の旭天鵬の37歳8カ月には達していない。優勝額を国技館で見ることはできないが、10年前の記録は今も輝いている。【佐々木一郎】