大相撲で米ハワイ出身の平幕高見山が1972年名古屋場所で外国出身力士初優勝を遂げ、7月の名古屋場所でちょうど50年になる。札幌五輪が行われ、沖縄の日本復帰、日中国交正常化が実現した激動の72年。角界にとっても国際化の一歩を踏み出した転換期だった。元関脇高見山の渡辺大五郎さん(78)に当時の思い出などを聞き、外国勢の奮闘に焦点を当てた。

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72年7月16日の大相撲名古屋場所千秋楽。米ハワイ出身の28歳、東前頭4枚目の高見山が13勝2敗で外国出身力士として初優勝を果たした。外国勢のパイオニア的存在として成し遂げた歴史的瞬間について、元関脇高見山の渡辺さんは「もう50年になるんだね。厳しい世界で、まさか俺が優勝するとは思わなかった。涙が出た」と述懐した。

千秋楽の表彰式では当時のニクソン米大統領から祝電が披露された。「覚えてますよ。うれしかったねえ」。以前と変わらぬ人懐っこい笑みを浮かべる。力士人生の終盤は体重200キロ前後の巨体に太くて濃いもみあげ、独特のしわがれ声で老若男女に愛され、テレビCMにも多数出演。史上2位の金星12個を獲得するなど39歳まで現役を全うした。「成功したいという思いだった。いろいろ大変なことがあったけど、よく頑張った。やっぱり相撲が好きかな」と語った。

64年2月に来日した19歳のジェシー・クハウルア少年は当時ただ一人の外国出身力士だった。「僕が頑張ることに精いっぱい。外国人だということはあまり考えなかった」と回想。壮絶なぶつかり稽古後、兄弟子に「おいジェシー、泣いているのか」と問われると「私の汗です。涙、違います」と強がった。

言葉や文化の壁を乗り越え、道を切り開いた。その後を同じハワイ出身の小錦や曙、武蔵丸が続く。2000年代になると朝青龍、白鵬の両横綱らモンゴル勢が土俵を席巻。渡辺さんは先駆者としての心境を「今は外国人が多いから、そういう考えはない」と受け流し「別に外国人、日本人ではなく『お相撲さん』だから」と強調した。

80年に日本国籍を取得し、現役引退後は東関親方として同郷の曙を横綱に育てた。日本相撲協会を09年に定年退職するまで45年間も在籍した角界へ「上(協会幹部)も日本の力士も頑張らないと駄目。とにかくみんなで伝統を守り、何百年と続くものを大事にしてほしい」と提言した。

現在の相撲協会は外国出身力士を1部屋1人に制限。朝青龍ら問題行動で世間を騒がせた例も少なくない。モンゴル出身の鶴竜親方(元横綱)は「相撲界に入る以上、日本人になったつもりでやらないと。覚悟を決めてやれば、応援してくれる人が出てくる」と言う。“ジェシー”の精神が息づく限り、国際化は続いていく。

◆外国出身力士の活躍 72年の高見山から今年夏場所の照ノ富士までの50年で124回の優勝を達成。計7人の横綱が誕生した。初の横綱は曙で、5年で最高位に立った。武蔵丸はハワイ勢で最多の優勝12回。2000年以降はモンゴル勢の独壇場で、朝青龍は優勝25回、白鵬は史上最多の優勝45回など数々の大記録を樹立。ブルガリア出身の大関琴欧洲やエストニア出身の大関把瑠都など欧州勢の台頭も目立った。