大関経験者の西三段目22枚目朝乃山(28=高砂)が、6場所出場停止明けから復帰の土俵に上がり、東三段目22枚目剛士丸(25=武蔵川)と対戦する。

昨年5月の夏場所中に、日本相撲協会作成の新型コロナウイルス対策のガイドライン違反が発覚。外出禁止期間中の度重なる外食や協会への虚偽報告により、同年6月に6場所出場停止処分を受けた。当時大関だった番付は三段目まで陥落。出場停止期間中に祖父や父が亡くなるなど失意のどん底を味わいながらも奮起した1年だった。ここまで師匠や部屋関係者の叱咤(しった)激励があったからこそ、この日を迎えられた。

 ◆   ◆    

21年6月。部屋によって作成された後援会関係者向けのわび状。師匠の高砂親方(元関脇朝赤龍)名義で書かれた文言を、緊迫した空気の中、朝乃山は部屋関係者の前で音読した。

「先般よりマスコミ等で報じられています通り、朝乃山のコロナ対策ガイドライン違反により、関係各位、全国の応援してくださる皆様方に多大なるご迷惑ご心配をおかけし、心よりおわび申し上げます。大関という重責を担う立場でありながら、自覚が無い軽率な行動によって大変な騒動を起こしましたこと、部屋の師匠として私の不徳の致すところでございます…」。

とんとん拍子で大関まで出世した朝乃山に対して周囲はどこか遠慮がちだったが、ガイドライン違反を機に対応は180度変えられた。反省を促し、そして改心させるため、心を鬼にした部屋関係者からあえて読まされたものだった。わび状発送後、高砂親方から「部屋は家族同然。こっちも気付いたことがあれば遠慮なく言うから一緒に頑張って行こう」と声を掛けられた。出場停止処分が決まると、師匠はもちろん、裏方からも一致団結して復帰までを支えられた。

朝乃山は昨年6月に6場所出場停止処分を受けたとき、同年8月に父靖さんが急逝したときに角界を去ることを考えた。高砂親方からは「今は辛抱して頑張ろう」と繰り返し説き伏せられた。「何が何でも辞めさせては駄目だと思っていた。この1年でつらい時期はたくさんあったけど、土俵に戻りさえすれば、まだまだ活躍できる力士。それに高砂部屋の未来のためにも朝乃山の力は絶対に必要だから」と高砂親方。師匠からの全幅の信頼があったからこそ、今の朝乃山がある。

周囲に支えながら迎えた復帰の名古屋場所。朝乃山は復帰場所に向けて、富山商高時代の恩師、浦山英樹さん(故人)からもらったしこ名「朝乃山英樹」の下の名前を、父の靖さんから授けてもらった本名の「広暉」に改名するなど決意がにじむ。三段目からの復帰は、16年春場所で三段目最下位の100枚目格で初土俵を踏んだだけに、再起をかけるにはこれ以上ない番付だ。いよいよ始まる第二の角界人生。まずは白星を挙げて、再出発への1歩を踏み出す。