「未完の大器」が真の怪物になった。西前頭2枚目逸ノ城(29=湊)が12勝3敗で初優勝した。

宇良を退け、3敗で並んでいた横綱照ノ富士が敗れた。新入幕から所要47場所は史上9位のスロー記録。1972年名古屋場所で米ハワイ出身の平幕高見山が外国出身力士初制覇を果たしてから50年の節目に、モンゴル出身力士が初優勝を達成。コロナ禍で途中休場の関取が戦後最多23人と、前代未聞の場所でもあった。

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怪物と呼ばれた男が、ついに悲願を達成した。逸ノ城は「本当に夢のような感じ。いつか優勝したいと思っていた」としみじみ言った。新入幕の14年秋場所で白鵬と優勝を争ってから8年。回り道をしながら、やっと頂点にたどり着いた。

過去4勝3敗と苦手意識のあった業師の宇良にも惑わされない。立ち合いから素早く右を差すと、関取最重量211キロの巨体をいかして一気に寄り切った。3敗を死守し、並んでいた横綱照ノ富士にプレッシャーをかけた。結びの一番での照ノ富士の敗戦は支度部屋で見届けた。

初土俵からわずか4場所で幕内に駆け上がった。14年秋場所。まげも結えずざんばら髪で迎えた新入幕で旋風を起こす。大関稀勢の里、豪栄道、横綱鶴竜を撃破。横綱白鵬に敗れ、100年ぶりの新入幕優勝こそ逃したが、13勝を挙げて殊勲、敢闘賞を受賞し、怪物と呼ばれた。

テレビCMに出演するなど、ブームを起こす。だれもが優勝はもちろん、次の横綱すら期待したが、その衝撃的な幕内デビューがあだとなる。テレビ出演などが重なった疲労で、ストレスから帯状疱疹(ほうしん)を発症して入院。歯車が狂い始める。その後は腰のけがなどに苦しむ。勝ち越しと負け越しを繰り返し、三役に定着できない。19年に2度目のヘルニアを発症した時には歩けないほどまで悪化した。

「もしかしたら土俵に上がることもできないんじゃないか」。20年初場所には十両に陥落した。この時支えてくれたのが、湊親方ら部屋の関係者だった。おかみさんで医師でもある三浦真さんに付き添われ病院に通い、再起に向けリハビリに励んだ。復帰後はモンゴルの先輩、朝青龍のかかけりつけと聞いた高崎市内の接骨院にも足を運んだ。

勝つことが周囲への恩返しになると信じた。先場所は新型コロナウイルスの影響で全休。けがの経験があるからこそ、焦らず自分のペースで稽古に打ち込み、全休明けの平幕優勝の快挙につなげた。「みんなに支えてもらった。感謝しかないです」。ようやく、周囲からのサポートを受けた恩に報いることができた。

10年3月に照ノ富士と同じ飛行機で来日。その盟友が結びの一番で敗れて歓喜の時を迎えた。秋場所は三役復帰が確実。「どの地位でも気持ちよく勝っていきたい」。白星で恩返しを重ね、真の怪物になる。【平山連】

<逸ノ城駿(いちのじょう・たかし)>

◆本名 三浦駿(21年9月に日本国籍取得前はアルタンホヤグ・イチンノロブ)

◆生まれ 1993年4月7日、モンゴル・アルハンガイ県。ゲルと呼ばれる移動式住居で生活する遊牧民で13歳からモンゴル相撲。

◆来日 10年に横綱照ノ富士らとともに来日して鳥取城北高に相撲留学。卒業後は鳥取県体育協会に勤務しながら同校相撲部でコーチを務め、13年全日本実業団選手権を制覇。湊部屋に入門し14年初場所、幕下15枚目格付け出しで初土俵。

◆スピード出世 所要2場所で十両昇進、同4場所での新入幕は歴代2位タイのスピード。新入幕場所で13勝し翌場所関脇に。所要5場所での新三役は歴代1位のスピード記録。

◆好きな食べ物 ケーキ、からあげ。

◆好きなアーティスト 長渕剛。

◆サイズ 192センチ、211キロ。得意は右四つ、寄り。

◆家族 両親と妹、弟。

◆愛称 イチコ。

 

○…外国出身力士の幕内優勝は、今場所を制した逸ノ城で15人目、125度目となった。50年前に高見山が優勝して以降、同じ米国出身の小錦、曙、武蔵丸が続いた。琴欧洲、把瑠都、栃ノ心といった欧州勢が台頭することもあったが、現在は横綱照ノ富士らモンゴル勢が角界をけん引。モンゴル出身力士の優勝者はこれで8人目、通算95度目になる。