「昭和の大横綱」大鵬の納谷幸喜さん(享年72)が、2013年に亡くなって、命日の19日で10年の節目を迎えた。

3人の孫は、大鵬の弟子の大嶽親方(62=元十両大竜)が引き継ぎ、現在も「大鵬道場」の看板を掲げる大嶽部屋で精進。うち番付最上位の王鵬(22)は水戸龍に敗れたが、天国の祖父に飛躍を誓った。32回の優勝は、長く歴代最多に君臨。その最多記録を更新した、優勝45回の宮城野親方(元横綱白鵬)も「角界の父」と故人をしのび、遺志を引き継ぐことを誓った。

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大鵬さんの命日に、角界入りした3人の孫で唯一、土俵に立った王鵬は完敗した。背後を取られて送り出されて1勝11敗。先場所は幕内で初めて10勝し、自己最高位の場所で苦戦している。それでも場所入り前には、部屋と同じ建物の5階にある祖父の仏壇の前で、目を閉じて手を合わせた。昭和の大横綱が築いた「大鵬道場」の看板が掲げられる大嶽部屋で、祖父に1歩でも近づくと心で唱えた。

大鵬さんが亡くなってからの10年間について、大嶽親方は「早いですね。あっという間」と、しみじみと語った。そもそも部屋を継承したのは13年前。「大鵬道場」を継いでいた元関脇貴闘力の先代大嶽親方が、10年7月に野球賭博に関与して解雇された。当時は二子山親方として部屋付きだった、現大嶽親方が急きょ部屋を継承。ただ継承に際し、大嶽親方は2度、大鵬さんの打診を断っていた。

大嶽親方 「大鵬さんに『お前が部屋を継げば部屋は残る。この部屋を、大鵬の名前を、こんな形でなくすのはむなしい』と言われた。でも『私の名前では弟子は入りません。できません』と断った。師匠に言われて『嫌です』と言ったのは初めて。しかも2度も。でも3度目で病床のベッドで頭を下げられ『弟子が師匠にこんなことをさせてはいかん』と引き受けた」。

18年初場所初土俵の王鵬を皮切りに、大鵬さんの孫3人が相次いで入門した。

大嶽親方 「大鵬さんの孫ということで注目度が違う。『お前の指導が悪い』と部屋に電話もあったし、インターネットに『大竜なんかに育てられないだろ』と書かれた。でも強くなってほしい気持ちは同じ」。

バッシングさえも激励と受け止めた。大鵬さんが亡くなってからの10年、さらに部屋を継承してからの12年半は「必死だった。この大鵬さんの部屋を守って、さらに大きくしないといけないと」と、偉大な名を継承し、重圧しかなかった。ただ入門の経緯を思い出すと、笑顔が絶えなかった。

大嶽親方 「私の父が後援会関係者と知り合いの縁で、大阪に体験入門に行ったら、大鵬さんに『きみはベンツに乗ったことがあるか?』と言われ『いえ、ないです』と答えて。『乗りたいか?』と聞かれたから『はい』と言ったら、そのまま東京に連れて行かれた(笑い)。でも大鵬さんは私の人生の全てですよ」。

同じように「角界の父」と大鵬さんを慕うのは、宮城野親方だ。この日、両国国技館でトークショーに臨み、大鵬さんが行っていた社会貢献活動を受け継ぎ、献血運搬車を2月12日の少年相撲大会白鵬杯で寄贈すると発表。「大鵬さんには短い時間だったけど、かわいがってもらった。同じ親方という立場になり、大鵬さんの考え方を弟子たちに伝えていきたい」。昭和の大横綱の遺志は、この先、10年、20年も引き継がれるに違いない。【高田文太】