大相撲の元大関朝潮で先代高砂親方の長岡末弘さんが2日、小腸がんのため死去したことが3日、分かった。67歳だった。近大時代にアマ、学生横綱の2冠の実績を引っさげ高砂部屋に入門。強烈なぶちかましで千代の富士全盛時代に活躍。幕内優勝も果たし大関にも昇進した。現役時代同様、引退後も陽気なキャラクターから「大ちゃん」の愛称で親しまれ、広報部長などを歴任。師匠として横綱朝青龍、大関朝乃山らを育てた。65歳の定年翌年の21年6月に日本相撲協会を退職。1年前に発症したがんと闘いながら懸命なリハビリ生活を送っていた。

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「弱みをみせたくなかったんだろう。最後まで生き様を貫いたと思う」。16年7月、同学年で盟友の九重親方(元横綱千代の富士)が亡くなった際に、長岡さんが発した言葉だ。最後に会ったのがその2カ月前、夏場所中の両国国技館。やせ細った顔に「やせたね」と声をかけると九重親方は「健康管理のためにダイエットしてるんだ」と強がったという。それを思い起こし、前述の言葉に続けた。「そうして我を張って生きたのがマイナスになったのかもしれないが、我を張らなかったらあいつじゃない」。

ある意味で、長岡さんも同じだった。昨年末の検査入院で悪性のガンが分かると「誰にも知らせるな。誰にも会わない」と親しい人に伝えたという。今年5月、日刊スポーツの歴代相撲担当記者と久しぶりに会食の機会を作ってもらった。そこでも死去に至った、100万人に6人といわれる希少ガンの1つ、今回の死去に至らせた小腸ガンのことは一切、口には出さずに「感謝」の言葉が刻まれたタンブラーを出席者全員に配ってくれた。

見るからに強面(こわもて)だが、懐に飛び込んでしまえばこっちのもの。15年から退職までの約6年半、評論家担当として接してくれた6歳年下の私との会話でも、遠慮なくブラックジョークを飛ばすと「バカヤロー!」のダミ声。でも、その前後には必ずガッハッハーという大きな笑い声をはさむとともに「うまいこと言うな」の高笑い。周囲に笑いと柔和な空気を送り込んでしまう長岡さん、いや「大ちゃん」とすれば、湿っぽさを誰にも感じさせたくなかったのだろう。最後に会いたい人は、たくさんいたはず。それでも「誰にも会わない」と伝えたのは、最後まで弱みを見せず、陽気なキャラクターを貫き通す我を張った人生を送った証しだろう。

15年12月の還暦を祝うパーティー。「朝青龍という強くて困った横綱を作りましたが、今後は和製(横綱)を作りたい。これが定年までの残された5年の私の夢」。その夢は夢のまま、最期を遂げた。豪放磊落(らいらく)、細かいことは気にしない、嫌なことはあっても一晩寝たらコロッと忘れられる…。そんな大っぴらな性格が、コロナ禍では災いし、部屋継承問題でも禍根を残してしまったようだが、それもある意味、古き良き時代を生き抜いたからだろう。

日刊スポーツとの付き合いは、現役引退した89年からだから、足掛け35年。長い間、本当にありがとうございました。もう糖尿や体の節々の痛みと闘う必要もありません。天国でもノビノビと、おおぼらを吹きながら大ちゃんらしく、力士たちの活躍を見守ってください。【渡辺佳彦】