高校生だった長州力に稽古をつけたことがある。将来、強くなるという好素質をもつレスラーだった。専大進学後、長州力は予想どおりずぬけたチャンピオンの座についた。

数年後、私はアフガニスタンの国立カブール大での3年の任期を終えて帰国、専大に教員として招かれた。レスリング部のコーチをまかされ、鈴木啓三監督を補佐。毎年、優秀な選手を全国からスカウトしたが、その中に馳浩がいた。一風変わった高校生であった。

「早大に行って高校の国語教師になります」という。そこで私は、「国語教師も保証するし、五輪出場も実現させる」と、口説いた。努力家の彼は、ぐんぐん強くなった。馳浩ほど「文武両道」の実践者を私は知らない。はたして、五輪出場、高校教師の夢を実現させたが、学生時代から長州力先輩と接して憧れるようになる。

私は馳浩を連れて、長州力に弟子入りを申し入れた。「ラクな仕事でないので、後輩に苦労をさせたくない」と、長州に断られた。しかし、馳浩の執念は長州の独立(ジャパンプロレス)によって実る。2人とも元五輪レスラー、そのファイトは魅力的であった。

少しずつ人気者になっていた馳浩のもとに、自民党幹事長であった森喜朗代議士から「参議院選挙出馬要請」。すぐにわが家に飛んできた馳浩に「やれ! 嫁の高見恭子にも応援させろ」とアドバイス。なぜか、ジャイアント馬場が、馳浩をわが子のように応援してくれる。

私は教育者の端くれとして、馳浩の能力と人間性を評価していた。度量の大きさも並はずれ、知的好奇心も深く、私は馳浩に文学者、国文学教授を期待した。人生とはおもしろい。まったく異なったジャンルで大成した馳浩、文部科学大臣に就任した際、私はうれし涙を流し、教育者冥利(みょうり)を味わわせてもらった。

国技館での猪木戦を観戦したタレントの高見恭子は私に「馳浩を紹介してほしい」と。で、紹介した。すると犬や猫よりも早く結婚した。