資格審査委員会、人事委員会、教授会で私の助教授昇格が決まった。すぐにこのうれしい報告を母親にした。「お祝いのために上京する」と喜んでくれた。40年前の話だ。

スポーツに熱中するだけ、勉強しない末っ子の私を家族が心配した。父親は、「スポーツが好きなら体育教師になれ」といい、日体大に進んだ。柔道からレスリングに転向、合宿、遠征、金のかかるアスリートだったが家族は応援してくれた。

スポーツのおかげで米国留学も体験、大学院にも進学して学者へと転じる。アフガンの大学にも派遣され、帰国後、専大の講師になる。あの勉強嫌いが、スポーツ史を学んで大学教員になった。好きこそものの上手なれ、母親は大喜び、私はやっと期待に応えたのだ。

そして昇格、上京した母親は、「これで車でも買いなさい」と、祝い金を贈ってくれた。が、暗転、母親は急に心筋梗塞で他界した。で、その悲しみのさめやらない時に追い打ちをかけられる。大きなショック、昇格が見送りになる。理事長が、ハンを押さなかったらしいのだ。

専大では新大学を設置するという案件が、教授会を左右していて、私は反対論者として意見を述べた。理事長は私たちのレスリング部を応援してくれていたが、私が反逆者に見えたかもしれない。理事長は、スポーツ好きの生え抜きの実力者で、私の反対論にどうも業を煮やしたらしい。

昇格できなかった悲報を耳にせずして母親は鬼籍に入った。もし、知っていたなら、どんなに悲しんだことか、そして私に「長いモノには巻かれなさい」と、言っただろうか。1年後、めでたく昇格することができて、母親の墓に報告に行った。

今、理事長職にある私は、己の意見は棚上げして、各委員会からの報告を真摯(しんし)に評価する。昇格には、大学に限らず、運・不運がある。その結論が出た際の態度が、その人の器量を決定づけると思う。常に前を向いて努力するしかないと、今も母親に誓っている。