7月25日付の日刊スポーツの大写真は、あまりにも非情。内村航平選手が鉄棒から落下しようとする写真。日体大関係者は、肩を落とした。1回きりの真剣勝負、やり直しはできず、ただ涙を流すだけで終わった。

が、翌日、阿部一二三と詩の兄妹が、みごとに歴史をつくる金メダル。家の電話も携帯も鳴りやまず、興奮状態が続く。内村ショックから立ち直り、日体大関係者のオリンピック獲得金メダル第40号が詩、41号が一二三となった。

「各大学の争奪戦が激烈で、スカウトできそうもありません。理事長に出馬をお願いします」と、山本洋祐柔道部長。神戸市役所に勤務するOBをたよって、一二三選手の父親である浩二氏と面談できた。「各大学とも超有名な先生方が来て下さいました。でも、大学の責任者が来てくれた日体大へ進学させます」との応答。専大時代からスカウトを毎年していた経験が役立った。山本部長をはじめ、柔道部の指導者たちの執念が実ったのだ。

日体大荏原高の有力選手やOBの故古賀稔彦氏の長男次男が入学、柔道部に活気が戻っていた。日体大には多数の運動部があり、それぞれ伝統を持つゆえ、柔道部だけを特別扱いできない一面がある。それでも阿部一二三は、鳴り物入りの新入生として入学。

日体大は大相撲の地方場所では、OB会が中心となって卒業生力士の激励会を開催する。春場所、大阪での会に父親浩二氏に連れられて詩選手も参加。嘉風、妙義龍、千代大龍らの人気力士よりも詩選手にOBたちが殺到する。これで私は詩選手の日体大進学も決定したと内心思った。で、その通りになった。

兄妹は、入学後も大学の各行事に協力してくれた。各大会後、報告に理事長室にやってくるが、2人とも明朗である。私は父親にいつも報道された各新聞を送らせていただいている。丸山城志郎との決定戦、怖くて見ることができなかったが、オリンピックだけは、姿勢を正してテレビ観戦。おめでとう阿部兄妹。