私が帝京高校の教員になった時、前田三夫野球部監督が誕生した。半世紀の長きにわたって帝京高を名門に導いた手腕は立派の一言につきる。当時、サッカー部が強くて狭いグラウンドを半々に使用して練習をしていた。古沼貞雄サッカー部監督も野球部に遠慮気味だったが、2人はあの悪条件下で強豪にした。

野球部はフォークボールを編み出した杉下茂(元中日監督)を輩出した名門だったが、前田監督の努力と執念は帝京を帝京たらしめた。が、引退するという。高校の監督は、想像以上に苦労がともなう。選手を集め、鍛えて一人前になったと思うと卒業する。運も必要だろうし、理解者も必要だ。

高校球界では、次々に名門高校の監督が引退、交代している。先日、横浜高の渡辺元智監督の後任となった村田浩明監督から手紙をいただいた。監督就任の決意が、ひしひしと伝わってきた。公立高校教諭の職を辞して、母校の監督として全国に響く伝統を守らねばならない立場、頑張って欲しいと思う。

その村田監督、今夏、いきなり甲子園出場で、ドラマを見せてくれた。広島新庄戦0-2で敗戦濃厚、9回2死一、三塁、なんと1年生がホームランで大逆転勝利。次戦で敗退したが、これからを期待したい。

決勝戦の智弁学園の兄弟対決、両方の監督を務めた私と日体大同級生の高嶋仁名誉監督の思いを想像する。智弁和歌山の投打が勝っていたが、孫の活躍に気をもんだにちがいない。お祝いの電話をしたがつながらない、ファクスで連絡をさせていただいた。高嶋監督が引退する際、私は引き留めたが、「孫のいるチームでは指導は難しい」。何となく理解することができる。また、後継者育成も大きな仕事だ。

高校野球界は、名物監督や名伯楽を多数輩出してきた。大学や社会人チームでは、高校球界のような名指導者をそれほど出したとはいいがたい。おそらく、あちこちから石を集めて、それを磨く作業に熟達した名人が、高校球界にはいるということなのだろうか。