1964年東京五輪にホッケー日本代表として出場した山岡敏彦さん(79)が、コロナ禍を吹き飛ばす後輩の奮闘を期待した。

東京・神田で広島風お好み焼き「カープ東京支店」を営み、日々鉄板の前に立っている。行列のできる大人気店にも、コロナの陰は色濃い。山岡さんは「緊急事態宣言で7時でビールもラストオーダーだから。『お酒ダメですよ』『じゃあ帰ります』ってね。7時でお客さんはもう来ないよ」と嘆く。

テークアウトも始めた。「店だと密になるから。ここで食べる方がおいしいから、嫌だったんだけど」。テークアウトは決して本意ではないが、客の笑顔に力をもらう毎日だ。

経営者として、さらにオリンピアンとしてもコロナが心配だ。大会の開催も危ぶまれている現状に「やらないと経済もダメだし。みんなが『やろう』となれば出来る。コロナが収まれば間違いない。ワクチンがどれだけ出来るか。うまくいけばなあ」と話す。

自身は目標の6位入賞を逃して7位だった。「今の男子はアジア大会で優勝した。やっぱり銀くらい、メダルに行けばいいよな。後輩には頑張って欲しい」。今も五輪会場の芝の色を鮮明に覚えている。後輩も、同じ感動を味わうことを期待している。

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