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作品紹介
どこに行くの?
- 出演
- 柏原収史、あんず、朱源実、佐野和宏、長沢奈央
- 監督・脚本
- 松井良彦
- 配給
- バイオダイド
- 上映時間
- 1時間40分
- 公開日
- 3月1日よりユーロスペースにてレイトショー
予告編映像配信中
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ストーリー
木下鋳工で働く立花アキラ(柏原収史)は、幼い頃から父親代わりでもあった工場の社長・木下(朱源実)から受け続けた性的虐待がトラウマとなり、今でもうまく人を愛することができない。工場の外では1回数万円で刑事の福田(佐野和宏)の相手をしている。高熱で溶かされた鉄、地味できつい労働…。アキラの中にはやり場のない鬱屈がたまっていた。
そんなある日、バイクを飛ばしていたアキラはトンネルを曲がったはずみで赤いワンピースの女をはねてしまう。道に投げ出された彼女を家に連れ帰り看病するが、目覚めた女は何も言わずに立ち去る。それが山本香里(あんず)との出会いだった。
数日後、香里は忘れ物のバッグを取りにアキラの住むアパートを訪れる。その名は「いづこ荘」。アキラはいつになく心を開いて香里に話しかけるが、玄関の外では嫉妬に燃えた福田が聞き耳をたてていた。物音に気づいて立ち上がろうとしたアキラの腕を香里は無言でつかむ。
「意外と力、強いんだ」。
やがて夫の気持ちに気づいた木下の妻(村松恭子)はアキラに一方的な解雇を言い渡す。連れ戻そうと家まで押しかけてきた木下と争ううちに、運悪く包丁が落ちた。事の重大さに怯えるアキラは、その日、やってきた香里と衝動的に結ばれる。
香里とアキラは木下の死体に灯油をかけて焼き、海に捨てる。もう元には戻れない。
結婚指輪を買い、神社で2人だけの式を挙げたアキラと香里。
「行こうか」。「うん、行こう」。
2人を乗せたバイクはどこへ向かうのか…。
イントロダクション
「どこに行くの?」は、80年代インディーズ・ムービーの金字塔「追悼のざわめき」(1986年完成)で世間を震撼させた松井良彦監督の22年ぶりの新作であり、第2期・松井良彦のプロローグである。「追悼のざわめき」以来となる待望の4作目は、邦画バブルもはじけつつある現在の日本映画界に、人々の多くが敢えて目をそらしてきた、映画を創ることの原初の衝動をよみがえらせる。かつてのATG映画が担っていたような剥き出しのエネルギーは、その泥くささゆえに、観る者に確実なしこりを残す。
松井監督はデビュー作の「錆びた缶空」(79年)から一貫して疎外されている人間を描いてきた。そして今回、監督が選んだ「疎外」の形は同性愛である。しかも性的トラウマを抱えた男性が、ニューハーフとして生きる男性を愛する、という変化球になっている。しかしそのこと自体はあまり重要ではない。なぜならこれは同性愛についての映画ではなく、恋愛映画だからだ。ちなみに松井監督自身は本作を「非常にかわいらしい青春ラブストーリー」と語っている。
つかの間の愛と快楽を買う刑事、飲みかけの缶コーヒーを差し入れることでしか気持ちを伝えられない社長…。ここでは、愛する者も愛される者も、あまりに無防備で不器用すぎる。こんなに正直では、生き馬の目を抜く世間はとても渡っていけないんじゃないかと心配になるぐらいだ。それはこの映画そのものにも言えるかもしれない。「追悼のざわめき」がセンセーショナルだったのは、自主映画ならではの無茶と意地が映っていたからである。しかし、当時に比べて撮影も編集も簡単になった現在、素人でも「上手く」て口当たりのいい映像を作ることはいくらでもできる。なのに何だろう、この危なっかしさは。技術や知識でごまかさずに感情を生のままさらけ出すような無鉄砲さは。ここまでピュアな創り方は現代だからこそ、なおいっそう無茶であり、意地にもなる。
主人公のアキラを演じるのは、「月の砂漠」(01年)「カミュなんて知らない」(06年)など、作家性の強い作品に次々と出演し、映画に愛されてきた柏原収史。端正な容姿に、繊細さと大胆さをあわせ持つ演技力で邦画界になくてはならない存在だ。その相手役であるヒロインの香里に抜擢されたのは、新宿で人気のニューハーフ、あんず。映画初出演ながらミステリアスなキャラクターの苦悩と葛藤を身ひとつで体現し、驚きと衝撃をもってむかえられた。そして「錆びた缶空」以降、松井映画の常連俳優である佐野和宏が圧倒的な存在感で画面をぐっと引き締める。特殊メイク・造形は「追悼のざわめき」からキャリアをスタートさせ、いまや「妖怪大戦争」(05年)や「インプリント~ぼっけえ、きょうてえ~」(05年)「叫」(07年)を手がける松井祐一。さらに、かねてから「追悼のざわめき」に共鳴し、デジタルリマスター版では音楽も担当したミュージシャン上田現によるエンディング・テーマ「水の記憶」は、道端にひっそりと咲く、ひなぎくの花のように、かすかな救いを感じさせる。