映画「明日に向って撃て!」などで知られる米俳優ポール・ニューマン氏が26日、がんのため米コネティカット州ウエストポートの自宅で死去した。83歳。55年に「銀の盃」で映画デビューしてから半世紀にわたって第一線で活躍し、86年に「ハスラー2」でアカデミー賞主演男優賞を獲得。44歳で始めたカーレーサーや慈善家としても活動するなど多才だった。俳優としては昨年5月に引退を表明した。晩年は肺がんと闘っていた。

 末期の肺がんを患っていたニューマン氏は今年6月、ニューヨーク市のがん専門病院に入院。「深刻な状況で死にかけていた」(遺族)ため最先端の化学療法を受けたが、回復せず同8月8日に退院。妻の米女優ジョアン・ウッドワード(78)と帰宅。最期は親族や友人に囲まれて静かに息を引き取った。悲報は、米国内で「伝説の終わり」と報じられた。

 創作意欲は衰えず、今秋から上演予定だった舞台の監督をする予定だった。しかし、5月に降板して入院。最期を覚悟していたのか、7月から身辺整理を始めていた。カーナンバー「82」を入れた愛車フェラーリを最近友人に譲ったり、82年に設立したサラダドレッシング製造会社「ニューマンズ・オウン」の事業を息子ニールさんや娘ネルさんらに引き継ぐ準備を進めていた。遺産相続の生前分与も済ませていたという。

 米映画界で半世紀以上も輝き続けた巨星だった。52年にジェームズ・ディーン氏、マーロン・ブランド氏らと俳優養成所「アクターズ・スタジオ」に入所。55年に「銀の盃」で映画デビューしたが「第2のマーロン・ブランド」と売り出されたことに失望。舞台やテレビに活動の場を移したが、56年の「傷だらけの栄光」で映画復帰。その後も61年「ハスラー」、69年「明日に向って撃て!」、73年「スティング」などに主演し、スターの地位を不動にした。アカデミー賞には計9回ノミネートされ、計3度も受賞した。

 本業以外の活動でも一流だった。69年の映画「レーサー」での主演がきっかけでカーレースに熱中した。44歳だった70年にプロデビューし、79年の「ルマン24時間」で2位。95年にはフォード・マスタングの一員として「デイトナ24時間GTS-1クラス」で優勝した。

 実業家、慈善家の顔も持ち、起業した「ニューマンズ・オウン」の純利益を毎年寄付。総額は2億5000万ドル(262億5000万円)を超えた。78年に薬物中毒で長男スコットさんを亡くした後は、麻薬撲滅運動に傾倒。リベラル派として、ベトナム反戦、反核運動にも関与した。

 ハリウッドきっての政治通としても知られた。エール大学出身で、名門アクターズ・スタジオからスターダムを駆け上がってからも、本業の合間に政治研究に没頭。一時は「大統領選への立候補を本気で考えている」とコメントし、政治記者に追いかけ回されたこともあった。

 06年にアニメ映画「カーズ」で声優に挑戦したが、演技は05年のテレビドラマ「追憶の街

 エンパイア・フォールズ」が最後。昨年5月に「もう満足できるレベルで演技できない。記憶力、創作力、自信を失い始めた。50年も仕事してきた。もう十分だ」と引退を表明した。一流の俳優だけに許される幕引きだった。