クラシック音楽を聴く習慣が無くても、年末には何となく「第九」が恋しくなる。他の業績はあまり知らなくても、振付師モーリス・べジャールの名前は「愛と哀しみのボレロ」(81年)のジョルジュ・ドンの圧倒的な踊りとともに記憶に焼き付いている。

 クラシックやバレエにはほとんど縁がない身にも、第九+べジャールを題材にした「ダンシング・ベートーヴェン」(アランチャ・アギーレ監督、23日公開)は取っつきがいい。

 14年11月、東京・NHKホール。奇跡のコラボレーションと言われた「第9交響曲」公演が実現するまでを追ったのがこの作品だ。

 幕開けはスイス・ローザンヌのモーリス・べジャール・バレエ団。07年にベジャールが亡くなってから、盟友のジル・ロマンが芸術監督を引き継いでいる。ロマンの娘で、女優のマリヤ・ロマンがこの映画のインタビュアーであり、進行役だ。バレエ団の中で育っているから団員とは顔見知りである。スリムに絞られた肉体美、限界を目指す鍛錬の場にカメラと共にスッと入り込む。メインから端役まで、一律に見える真剣な表情が印象的だ。

 4楽章構成の第2楽章でソリストを務めるカテリーナ・シャルキナに妊娠が発覚。降板が決まった彼女には無念と新しい命への喜びの表情が交錯する。ベビーの父は第4楽章のメインを務めるオスカー・シャロンで、彼の表情にもまた喜びと少しばかりの申し訳なさが浮かぶ。カテリーナの代役となったサリーン・ティエヘルムは当惑の中に喜びがのぞき、短時間のうちに周囲に追いつこうと焦りがちらつく。

 ドキュメンタリー映画の妙味とも言えるアクシデントが、自然に入り込んだカメラと旧知のインタビュアーによって映し出される。鍛え抜かれた肉体の中にも当たり前のようにある人間らしい迷い。友人との語らいで明かされるようなトップ・ダンサーの本音が見どころだ。

 「第9交響曲」で共同制作のパートナーとなった東京バレエ団でも準備は進む。べジャール・バレエ団の大貫真幹もそうだが、こちらでも上野水香、柄本弾、吉岡美佳ら日本人キャストの表情の豊かなこと。客席後列まで届く舞台表現の大きさをアップ映像で改めて実感する。

 べジャール・バレエ団、次いで演奏を担うイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団が東京にやってきて、いよいよ舞台は本番を迎える。

 べジャールは4つの楽章に地、火、水、嵐を象徴させ、それぞれに褐色、赤、白、黄の色彩を割り振った。指先まで張り詰めた筋肉の動きが見えるアップから、幾何学模様に見える大団円の俯瞰(ふかん)映像までが美しい。瞬きを許さない。

 64年の初演からべジャールが封印、再編、復活を繰り返してきた「第九」はソフィスティケートを極めているのだろう。舞台は流れるように滑らかに進む。一方で、世界中から集ったダンサー、演奏者たちの個の顔がしっかりのぞく。「人類皆兄弟」というと、あまりに単純化した言い方になるが、べジャールが伝えたかったことが、改めて伝わって来る。

 練習風景から、繰り返し流れる第九。そして第4楽章の「歓喜の歌」。この年末にはどこかのコンサートに出掛けたくなった。そんな思いにさせる作品だ。【相原斎】

「ダンシング・べートーヴェン」の1場面(C)Fondation Maurice Bejart, 2015 (C)Fondation Bejart Ballet Lausanne, 2015
「ダンシング・べートーヴェン」の1場面(C)Fondation Maurice Bejart, 2015 (C)Fondation Bejart Ballet Lausanne, 2015