川島なお美さんは努力の人だった。8年前に小さな劇場で3人しか出ない舞台「とんでもない女」を見て以来、川島さんの舞台を観劇するにつけ、その印象が強くなった。

 バラエティー番組の出演も多かったが、07年に出演した「とんでもない女」は下條アトム、ブレーク前の吉田羊と川島さんの3人で、作・演出は気鋭の劇作家中津留章仁氏。舞台プロデューサーも当初は「女優というよりテレビのタレントさんとばかり思っていた」というが、何度も台本を読み返し、演出家にしつこく質問する女優意識むきだしの姿を見て、芝居が好きなんだと見方を変えた。その後、出演した「嫉妬.混む」「重力」も小劇場だった。

 最後の舞台となったミュージカル「パルレ」は韓国発ミュージカルの小品で、11年の初演は三越劇場。出演は6人だけで、川島さんは6役を生き生きと演じていた。40代に入っていた01年に劇団四季ミュージカル「マンマ・ミーア!」のオーディションを新聞で知り、自ら応募して受けたが、合格とはならなかった。しかし、演出家の浅利慶太氏に「レッスンをしないか」と声を掛けられ、3カ月間、稽古に通った。四季独特の発声法、ダンス、歌、演技を学び、舞台女優としての基礎となった。

 病の体を押して「パルレ」の舞台に立ち、9月16日を最後に降板した。最後の舞台ではせりふを言い間違えることもあったが、演じきった。「体調が悪い中で出なくともよかったのでは」との声もあるが、「パルレ」公演のチケットの売れ行きは、川島さんというスターが出るかどうかで左右される。メーン出演者の責任感と、余命わずかと知っているだけに好きな芝居に出たいという思いが舞台に立たせたのだろう。

 実は酒があまり強くなかった。「私の血はワインでできている」との言葉を残し、ワイン好きのイメージがあるが、友人の川崎麻世は「ワイン3杯で寝てしまう」と証言する。ワイン好きのイメージを崩さないため、ワインのことを勉強していたという。やはり、川島さんは努力の人だった。