2月の午後7時過ぎの歌舞伎座では連日、大きな拍手が何度も響き渡っている。緊急事態宣言下のため、残念ながら客席は満席ではないけれど、1人1人の拍手の熱量がすごかった。熱い拍手の先にいたのは、9歳の中村勘太郎。「二月大歌舞伎」第三部で、父中村勘九郎とともに「連獅子」で仔獅子に挑んでいる。

「二月大歌舞伎」の第3部「連獅子」に出演する中村勘太郎(左)、中村勘九郎(C)松竹
「二月大歌舞伎」の第3部「連獅子」に出演する中村勘太郎(左)、中村勘九郎(C)松竹

狂言師の左近、右近が、親子の獅子の厳しい試練や情愛を踊っているうちに、その魂が二人に乗り移り、獅子の精となって踊り狂うという人気演目で、勘太郎は父に負けじと、毛を空中で回転させる「巴」や毛先を舞台にたたきつける「菖蒲たたき」などの激しい振りを果敢に見せている。

勘九郎の祖父17代目中村勘三郎の三十三回忌追善狂言としての上演で、17代目勘三郎は勘九郎時代の18代目勘三郎と7度も「連獅子」で共演している。18代目が13歳の時に初めて踊り、最後は1986年の17代目の喜寿記念で、私も見ている。千秋楽に異例のカーテンコールが行われるほど盛り上がり、17代目は「80歳の傘寿では孫と踊る」とも話していたが、それから2年後に亡くなっている。

92年に18代目は、10歳だった勘太郎時代の勘九郎と初めて踊り、1年後には当時10歳の七之助も加わって、親子共演の「連獅子」は10回にも及んだ。最後は2010年の歌舞伎座で、2年後に18代目は57歳の若さで亡くなっている。

中村屋が大切にしてきた「連獅子」だけれど、松本白鸚も染五郎時代の幸四郎と何度も踊っており、染五郎が4歳で松本金太郎を名乗って初舞台を踏んだ時には「門出祝寿連獅子」で3人の毛ぶりを披露している。中村芝翫も襲名披露公演で息子の中村橋之助、中村福之助、中村歌之助と親子4人で「祝勢揃壽連獅子」を踊っていたし、片岡仁左衛門も息子の孝太郎に続いて、14年には孫の千之助とも踊っている。仁左衛門が70歳の時で、祖父と孫で演じる「連獅子」は戦後では初めてのことだった。

「二月大歌舞伎」の第3部「連獅子」に出演する中村勘九郎(左)、中村勘太郎(C)松竹
「二月大歌舞伎」の第3部「連獅子」に出演する中村勘九郎(左)、中村勘太郎(C)松竹

海老蔵も新之助時代から父市川団十郎と何度も踊っており、長男堀越勸玄くんと踊る日も近いだろう。「連獅子」は親から子へ、そして孫へと、歌舞伎俳優の芸の魂を受け継いでいく稀有(けう)な演目でもある。

勘太郎の熱演に天国の17代目、18代目も喜んでいるだろう。そして、生きていれば、私と同じ65歳だった18代目は、勘太郎、そして長三郎という孫たちと一緒に「連獅子」を踊りたかっただろうなと思うと、涙が浮かんできた。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)