25年、歩み続けてきた女優としての人生が止まるかも知れない…。コロナ禍の中、恐怖さえ感じていた尾野真千子(39)の背中を、1本の台本が押した。「命懸けで頑張ります」と誓い、全てをささげた4年ぶりの主演映画「茜色に焼かれる」(石井裕也監督)が21日に公開されるのを前に「自分にとって最高の映画」と語る、瞳の奥に迫った。

★「死ぬ気で」

4月に都内で行われた完成報告会の壇上で、尾野は「もう仕事が出来ないんじゃないかと考えた」と口にした。そう思わせた最大の要因はコロナ禍だった。

「他の作品をやっていたら、コロナになって全部、止まりました。その時、いくらやりたかった仕事でも現場でコロナにかかって死ぬのは嫌だと思った。明確に分かるまで表に出たくない…だったら、収束するまでとか休みたいって言ったんです。なんなら、もう出来ないかも知れないくらいな感じだった。やりたいことが出来ないし、せっかく、この作品をやりたいと自分で仕事を選べるようになってきたのに…自分の意思ではなく、訳の分からない病原菌のために止まるんだなと。毎日、恐怖でした」

どん底の精神状態の中、石井監督から送られてきた企画が人生を変えた。

「酔っぱらって『(女優)20周年…あんたに撮らしたるわ』とか、偉そうなことを言っていたのを、ずっと覚えていてくれて、もし撮るなら生半可なものは持っていけないと思っていてくれたらしくて。あらすじが書かれているだけで、台本ではなかった。でも(内容が)とんでもない。今、精神的に出来るか分からない。でも、見て見ぬふりも出来ない。やりたい。ただ待ってたら、あかんねや。やらな、あかんって思って、監督とお会いして『死ぬ気で頑張ります』って言ったら、監督も『死ぬ気で頑張ります』って…お互い、同じことを言っているなと」

★「一番の敵」

役どころは、7年前に夫を交通事故で亡くし、加害者の元官僚が認知症を理由に逮捕されず、謝罪もないからと賠償金を受け取らず、女手ひとつで中学生の息子を育てる女性だった。

「台本を読むと、まず母のこと…子に対しての愛情表現とか、どんな愛情を子にするのかとか(がメインテーマ)。この世の中、虐待とか、いろいろなことがあるじゃないですか。母の子に対しての愛情とか、子の母に対する愛情とか伝えていけたら、少なくなっていくんじゃないだろうか? とか考えるわけです。それと夫の死。理不尽なことをお金で解決しようとする大人がいたりとかを映像で切り取ることで、必ずしも、ものだけで片付けられるものはない、やっぱり思いとか気持ちが必要であることも伝えられるだろうし」

★股間に顔を

女性はコロナ禍で経営するカフェが破綻し、花屋のバイトと掛け持ちで息子に明かさず風俗店で働く。コロナ禍で収入が減った女性が、望まないセックスワークに従事する今の社会情勢まで盛り込まれた役だった。

「コロナは自分にとって一番の敵…ずっと続くものかも知れないじゃないですか? でも、闘う姿を見せられれば何か得るものもあるし、この時代に起こったものとして記録も出来ると思ったし…いろいろなことが伝えられると思った」

風俗店で、全裸で男性客の股間に顔をうずめる場面も演じた。一点の迷いすら感じさせない演技…その裏で、何を思っていたのか。

「台本を読んで、どうしてこの仕事までしなければいけないんだろうと疑問は出た。やったことがないから分からない…だけど、やっていくと納得できちゃったんですよね。自分が生きていくため…その他に、最愛の子を育てなきゃいけない。いろいろなことを考えて撮影が進んでいくたびに、私やったら、やるやろうなと思ったんですよね。どうにもならない時って、やっぱり、お金のいいところを探すわけじゃないですか。この身がどうなろうが、周りに何を言われようが、この子に愛情を注ぐためだったら、するだろうなと、どんどん変わっていった」

和田庵(15)と母子を演じる中で、子どもに対する思いも変わってきたという。

「もともと、子どもって得意な方ではないんです。どう接していいか分からない。末っ子だからかなと思います。でも、和田君を見ていると、ちゃんと成長してるんだな、かわいいなぁって、だんだん思えてくる。(和田は)よくしゃべる、おばちゃんやと思っていたと思います(笑い)」

★決めた覚悟

1度結婚、離婚を経験した。再び家族を持ちたいという思いはあるのか?

「それは女ですから…ね。私は1度、×をいただいているので(苦笑い)たくさん縁はある。でも男女の縁となると難しいでしょう。合う、合わないが…ね」

96年に地元奈良の中学校で、げた箱を掃除中に河瀬直美監督に見いだされ、翌97年「萌の朱雀」でデビュー。11年にNHK連続テレビ小説「カーネーション」に主演と順風満帆に見えるが、苦しい時期もあった。

「20代後半まではオーディションに受からなかったりとか、そんなことばっかり。ご飯食べるにも必死なわけです。死にたいとか、1度も考えたことはなかった…ただ、気が付いたら線路の前にいた。ふっと我に返った時、親が泣くって思ったんです。常に家族が頭の中のどこかに必ずあって、仕事するにも、何するにも、家族が私を支えているような気がしていて。親とか家族に大切に育ててもらったから、余計にそう思えるんでしょうけどね」

25年の女優人生は楽しかったと、今だから言える。

「振り返ってみると、ちゃんと生きていたなと。何も出来ない自分に歯がゆかったり、止まっているように思っていたけど、あんなバイトをしていて良かったな、こんな人に出会えて良かったなとか…ちゃんと前を向いて歩けていたんやなと思いますよね」

コロナで1度、止まることも覚悟した女優人生。この先、どう歩むのか?

「続けたいですよ、やりたいことを。自分のために、続けていきたい。今は、コロナが、まだまだ怖い。本当に、このまま、ちゃんと続けていけるのか? 映画館も今、閉じられていって、私たちは、どういう仕事が出来ていくんだろう、どうなるんやろうって本当、恐怖ですけど…もう、明るい未来を信じていくしかないですよね。そのために、何か、また、ちゃんと胸張ってお見せできるものを…今、少しずつでも、1歩1歩、頑張っていきたいです。コロナに、負けてられないっすよ」

覚悟を決めた時、女はますます強く、美しくなる。【村上幸将】

▼息子役を演じた和田庵

お会いする前は、勝手に怖い人という印象があって、初めてごあいさつする時、すごい緊張したんですけど、実際は優しくて、すごい明るく面白い人。土手沿いを自転車で2人乗りで走る場面で、カットの度に戻る時も、2人乗りしたまま、こいで戻ってくださった。「悪いので降ります」と言っても「そのまま乗ってていいよ」と、本当の親子のように接してくださり、自然に演技が出来た。

◆尾野真千子(おの・まちこ)

1981年(昭56)11月4日、奈良県西吉野村(現五條市西吉野町)生まれ。河瀬直美監督がカンヌ映画祭で新人監督賞「カメラドール」を受賞した97年の映画「萌の朱雀」に主演しデビュー。同映画祭で審査員特別大賞受賞の、同監督の07年「殯の森」にも主演。12年「カーネーション」でエランドール賞、橋田賞ともに新人賞。17年「ナミヤ雑貨店の奇蹟」で日刊スポーツ映画大賞助演女優賞。28日に映画「明日の食卓」(瀬々敬久監督)も公開。161センチ、血液型A。

◆「茜色に焼かれる」

田中良子(尾野)は夫陽一(オダギリジョー)を理不尽な交通事故で亡くし、義父の老人ホーム費用、夫の愛人の養育費まで払うため風俗で働く。そのことでいじめに遭う息子純平(和田)は母の風俗の同僚ケイ(片山友希)に恋心を抱く。

(2021年5月16日本紙掲載)