主演でも助演でも存在感を発揮。俳優業だけでなく近年はバラエティーや教養番組にレギュラーを持つなど八面六臂(ろっぴ)の活躍が続く、佐藤二朗(52)。実は映画監督の顔も持っている。今月4日に2作目の監督作品「はるヲうるひと」が公開を迎えた。クリエーターとして、自分にしかできない表現を追い求めている。

★山田孝之主演

離島の売春宿を舞台に、現状にもがきながら生きる人々を描く「はるヲ-」は、佐藤にとって「memo」(08年)に続く2作目の監督作品だ。原作・脚本も務めた物語に満ちる息苦しさは、コミカルなイメージとは程遠い。主演の得太役には、テレビ東京系「勇者ヨシヒコ」シリーズなどで共演する山田孝之(37)を迎えた。

「番宣では、『僕と孝之を見てヨシヒコと仏と思う人は1人残らず見やがれ』みたいなことを言ってるんです。カウンターを打ちたい気持ちもある。だから同じ人なのかとか、イメージに結び付かないと言われるのは、ある意味では非常にありがたいですね」

得太を暴力で支配する兄・哲雄役で出演も。狂気をまとった演技は心底恐ろしく意外性を感じる人もいるだろう。

「ものすごい言われますけど、僕の中では意外でも何でもない。コメディーとシリアスを分けるのがナンセンスで、両者は同じ地平にある。笑っていたらいつの間にか泣いているとか、人間のそういう瞬間にすごく興味がある。真剣度合いはコメディーとこれと全然変わりはないので、僕の中では同じやりたいことをやっている感じです」

主宰する演劇ユニット「ちからわざ」で、09年と14年に上演した舞台が原案。初監督作の後、次作を模索する中で製作の永森裕二氏から映画化を提案され「その手があったか」と動きだした。監督に集中するつもりだったが、同氏の勧めで出演も決めた。舞台版では得太を演じていた。

「頭が悪くてバカで、弱っちくて泣き虫でそのくせよくほえる、どうしようもないチンピラの役を山田孝之で見たいと思った時、非常に凶悪な男である哲雄を俺がやるってなると、これは面白いかなって」

★最優秀脚本賞

コロナ禍で公開は予定から約1年遅れたが、その間に韓国の第2回江陵国際映画祭で最優秀脚本賞を受賞した。

「しゃれでも事実だから言ってますけど、俳優としていただいた賞はNG大賞しかないって。まさか異国の地で脚本の賞を取れるとは。韓国は映画大国ですから、それは非常にうれしい」

演じることとは「別腹」で、書くことへの欲求がある。

「俳優は演じることだけに没頭していた方がイメージ的にもいいし、ストイックでかっこいい。硬派だし。でもどうしても別腹で(欲求が)あるから、それを無視できなくて書いていて。でも、何人かにお前は書いていいんだよと言われていたんです。脚本賞を取ってその人たちにちょっとでも報いることができたのかな」

「memo」でも原作・脚本・出演を務めた。何役もこなす苦労は身に染みていたが、表現者として改めて感じたことがある。

「2作やってみて、やっぱり脚本して、監督して、自分が出演することも全部込みかなと。今はそう思ってます」

今後も作品作りに取り組む意向だ。

「自分にしかできない表現があるかどうかも分からないし、あるなんて言うことがおこがましいのは百も承知なんだけど、それがあると信じられるうちは監督をやりたい。どんなにすごい人であれ、みんな死ぬ気で自分にしかできない表現を追い求めるわけじゃないですか。オリジナルというものが本当にあるのか、ということに近いような気がするんですけど」

その「オリジナル」に触れた感覚はあったのか。「ある程度は見た人が判断することだと思うんですけど」と前置きした上で、得太と妹のいぶき(仲里依紗)が夕日に向かう、終盤のある場面を挙げた。

「そのシーンをホンで思い付いた時は、小さく心の中でガッツポーズをしたというか。あ、こういうことだよな、俺だからこの表現になるっていうのは、こういうことだよなって思った記憶がありますね」

★夢ではなく運命

俳優になることは「将来の夢」ではなく、「運命」だと思い込んで少年時代を過ごした。

「理由ですか? 分からないですね。例えば運命の人と出会って、その理由は『かっこいいから』『話があったから』。それってどれも陳腐に思えません?」

ドラマが大好きで、倉本聰や山田太一の「ちょっと大人がみるような」作品に刺激を受けたという。

「ませた子どもだったんです。山田さん、倉本さんのドラマを食い入るように見ていて役者になるような運命だと。卒業文集に『将来の夢は俳優』と書くこともなく。夢とかじゃない、なるからと。それはバカみたいに思い込んでいて」

エピソードもある。

「小学校高学年くらいの時ですかね。『北の国から』の監督の杉田成道さんに、自分で書いたせりふをカセットテープに吹き込んで、俺を使ってくれという手紙と共に送ってるんです」

当時を振り返って「気が変だったと思う」と苦笑したが、真剣そのものだった。愛知の田舎に育ち、どうやったら役者になれるのか分からず、抑えられない衝動があった。

「THE YELLOW MONKEYの『JAM』っていう歌に、『僕は震えている 何か始めようと』っていう歌詞があるんですけど、すっごいわかるんです、僕。片田舎にいて、自分は役者になる運命だと思い込んでいる。例えば『ふぞろいの林檎たち』を見終わった後、何かしなきゃ、何かしないと気が変になりそうって。そういう思いでやったんでしょうね」

大学卒業後はいったん就職するが、役者への思いから俳優養成所へ。役者として芽が出ずに再就職するも、やはり諦めきれずに自分で劇団を立ち上げた。

「僕は本当に運にも人にも恵まれて。恩人に足を向けられないとしたら、俺は直立不動で立って寝るしかないって冗談で言うんだけど。恵まれずに今もサラリーマンをやっていたとしても、やっぱり相変わらず、うじうじ俳優目指してると思いますよ。何か方法を考えて」

どんな形でも、自分にしかできない表現を追い続ける。

「浮草稼業なので、いつどうなるか分からない。毎年本当にそう思ってますよ。もし食えなくなったらバイトでもして、妻と子どもを何とかして。ちっちゃい小屋でいいから自分で書いて、芝居は続けたいなと思ってます」【遠藤尚子】

▼「はるヲうるひと」製作の永森裕二氏

佐藤二朗=「おもろいおっさん」という、あてがわれたのか本人からとりにいったのか分からない世間からの人物像があります。それは正しい。おもろいおっさんです。ただ、それだけじゃなくて、昔から二朗さんには人間の持つ仄暗(ほのぐら)さを観察する目が備わっていました。それは世間が笑い飛ばせないたぐいの、でも誰もがふに落ちる、我々の負の側面。そのベースがあるから彼の演技はバカバカしいけど何かねっとりとこびりつく感じがするんだと思います。長年かかりましたがそのねっとりを思う存分出せた作品ができました。佐藤二朗の純度を目の当たりにして世間様はどう感じるか。とても楽しみです。

◆佐藤二朗(さとう・じろう)

1969年(昭44)5月7日、愛知県生まれ。会社員として働きながら、96年に演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ。09年「幼獣マメシバ」で映画初主演。レギュラーはフジテレビ系「超逆境クイズバトル!! 99人の壁」など。NHK主演ドラマ「引きこもり先生」が12日からスタート。来年度大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演。

◆はるヲうるひと

凶暴な長男・哲雄(佐藤)が仕切る売春宿で、次男・得太(山田孝之)は哲雄におびえながら遊女たちの世話をしている。そんな家で暮らす、美しくも病弱な長女・いぶき(仲里依紗)を、得太は幼い頃から見守っていた。

(2021年6月6日本紙掲載)