13日に放送されたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」32話で、主人公井伊直虎(柴咲コウ)と家臣小野政次(高橋一生)が囲碁を打ちながら交わした言葉です。幼なじみの絆の象徴として描かれてきた囲碁シーンに「もうじき」という“死亡フラグ”が立ち、政次のXデーにおびえてきたファンは息が止まる回。前週の名せりふ「地獄へは俺が行く」に続く怒濤の展開で、ネット上も「これが最後の囲碁なのかあぁぁぁ」「政次死んじゃいやぁー」と騒然としています。

 要所要所で囲碁を効果的に使っている「直虎」ですが、中でも直虎と政次の囲碁は格別。お家存続のため独身の女城主となった直虎と、身分違いの恋を胸に押し込んできた政次の切ない距離感が盤をはさんだ間柄によく出ていて、名シーンの宝庫なんですよね。戦国を生き残るため、身内もあざむいて敵対関係を貫いてきた2人が、ふと幼なじみの横顔を見せる貴重な場でもあります。

 おそらく最後であろう2人の囲碁は、人目を避けるいつもの寺の、いつもの夜更け。井伊家の計画倒産が“成功”し、やっと今川の呪縛から自由になれるという局面での囲碁でした。今川家の犬という嫌われ者に徹し、直虎をずっと陰から守ってきた政次に、月明かりがよく似合います。穏やかな笑顔は、憑き物がとれたような、使命を果たして思い残すことがないような。幼い「鶴丸」時代から何も変わっていない優しい人柄が、画面からあふれていました。

 直虎のリーダー像を誰よりも理解し「かような領主がこの日の本の、ほかのどこにおられますか」という本音も初めて明かしました。うれしくて「そうか」と涙があふれる直虎に「殿の番ですよ」。これも囲碁だからこその名場面ですよね。照れ隠しで「よう見えぬ」と言う直虎のために、盤を月明かりがさす方へ。満月のちょっと手前の青白いツーショットが美しく、「陽の光のもとで」対局することは、2度とないのだと理解しました。

 囲碁をしている時は幼いころのおとわと鶴丸の関係に戻っていて、急に飛び出すタメ口とか、ややこしい2人の関係が色っぽい場でもありました。政次がダークサイドから帰還した後の20話では、井伊家当主の座は窮屈だとグチる直虎に「いつでも降りて構いませぬぞ」と遠回しなプロポーズ。「ばかを言え」と動揺する直虎のスキを突いてしれっと勝利の一手を打つとか、しっかり戦況を見ている政次の才気も伝わってきました。

 神回として人気の25話は“テレパシー囲碁”。直虎の首が飛びそうなピンチに、表向き敵同士として離れた場所にいる2人が、まるで対面しているように碁を打ちながら打開策を探す展開でした。こう攻めたらどう受ける、と魂を受信し合って碁石を置く姿に究極のつながりを見せつけられ、もはや碁を打っているだけでエロい官能世界。離れていても、できあがった盤面は同じ。素人目にも、2人で逆転の手を見つけたのだと分かる陣形でした。

 2人が碁を打つ時は、常に城主の直虎が白、政次が黒の碁石でした。きのうの32話では、別の女性と歩く道を決めた政次の着物の袖から、白い碁石。殿の分身を、肌身離さず持っていたのですね。どこまでつらい悲恋なのだと、囲碁の名手の政次らしい小道具に泣けました。

 次回33話のタイトルは「嫌われ政次の一生」。既存の映画タイトルをモチーフにする直虎式サブタイトルもいよいよ神がかってきて、「高橋一生」の名前ともかかっているミラクル。平常心で見られるか心配です。

【梅田恵子】(B面★梅ちゃんねる/ニッカンスポーツ・コム芸能記者コラム)