NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」が終了し、全47話の平均視聴率が8・2%と発表された(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

「平清盛」(12年)、「花燃ゆ」(15年)の12・0%を大幅に下回り、平均1ケタという異次元の記録を大河56年の歴史に刻んだ。脚本家宮藤官九郎氏が初大河で近現代を描く挑戦自体は骨太であっただけに、こんな数字でいいはずがないとほろ苦さが残る。

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近現代という、大河ファンにはなじみのない時代設定であったにせよ、この作品特有の「分かりにくさ」が客離れを招いたことは間違いない。オリンピックと落語の2層構造だから描けた“見たことのない大河”である一方、落語ありきで間口が狭く、人物の多さ、場所の飛び飛び、行き来する時間軸というややこしさで受け手を減らしたのは皮肉な話だ。

第1話の視聴率は15・5%。前作「西郷どん」の初回(15・4%)よりも多くの人が見に来てくれただけに悔やまれる。宮藤ファンを中心に熱烈な評価も多かったが、2話の視聴率は12・0%に急落。6話で早くも1ケタに転落(9・9%)すると、2度と2ケタには戻らなかった。かねて「大河と朝ドラと紅白歌合戦は視聴率を気にする」という立場のNHK。作品性は高く評価しながらも、「分かりにくさがあったことは確か。今後の大河を作る時にひとつの参考にしたい」(木田幸紀放送総局長)と10月の時点で反省の弁を述べる事態となった。

実は私も、中盤まで大苦戦した1人である。スポーツ史の過去と未来をつなぐアイテムに落語を配した意欲作だが、1話の「志ん生の『富久』は絶品」というはがきの伏線で“走る人の話”とピンとくるほど落語に明るくないので、教養ない人お断りな敷居の高さに心細さを感じ続けた。

古今亭志ん生(ビートたけし)の落語演目が物語とリンクし、ナレーションとして物語のガイドもするので、聞き取れないとたちまちついていけなくなるのもあせった。昭和のたけしと明治の森山未来が同じ志ん生で美濃部孝藏でもあり、それぞれの時代の知らない登場人物と物語がめまぐるしい。しかも主人公は別にいて、前半はマラソンランナー金栗四三を通した日本スポーツ界の歴史も、落語パートと交錯しながら行き来する。

服装や髪形、風景など、明治と昭和初期は意外なほど見分けがつかないことにも苦戦した。東京の風景もあまり変わらないし、登場人物の大部分を占めるインテリ層や役人はどちらも七三分けでスーツ。一般女性はどちらも着物が多い。寄席は昭和も令和も変わらないので、たけしの落語シーンは2019年現在に見えたりもして、このシーンは何の時代か、常に脳内確認しながら見ている感じだった。

個人的には、主人公のバトンタッチ(25話)とともに舞台が昭和初期に移った第2部からすっきりと見やすくなった。描くものが明快だった女子アスリート編の人間ドラマは、均等法世代としては号泣しながら何度も見た。最終盤の“東洋の魔女”と大松監督(徳井義実)の物語も、感動回の連続だった。振り返れば、宮藤氏が描く女性像はずっと強くて魅力的だったと、洞察の深さ、視線の優しさに圧倒されるばかりだ。

番組の最低視聴率は、10月13日放送の39話「懐かしの満州」の3・7%。宮藤氏が、志ん生の満州慰問を通して描いた戦争の話だ。裏が39%超えのラグビーW杯「日本×スコットランド」だったとはいえ、オリンピックと落語の2層構造で描いてきたこの作品の狙いがすべてつながった準完結編で3%台は残念すぎる。1話の「志ん生の『富久』は絶品」の真相も生き生きと明かされた。こういう人たちの思いがつないだ平和の祭典であり、宮藤氏は、この39話のために「いだてん」を書いたのだと感じた。

「つまらない」ではなく「分からない」。結局、受け手と息の合わない序盤が最後までたたってしまった。各話に伏線を張り巡らし、終盤で怒濤(どとう)の回収という宮藤ワールドが、週1で47話という大河ドラマのリズムと合っていないようにも見えた。

作り手は作りたいものを作る以外に正解はないのだから、「視聴率など関係ない」は理解できる。とはいえ、人に届いてこそのエンターテインメントである。情熱を傾けて作ったものであれば1人でも多くの人に見てもらいたいと願うはずで、平均1ケタでいいわけがない。ついでに言えば、大河の制作費は莫大(ばくだい)だ。等しく受信料を払いながら、絶賛するマニア以外は1年間蚊帳の外というのもかわいそうだ。

作品性も大事だが興行も大事。この両輪をどうコントロールするか、教訓を今後に生かしてほしい。

【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)