ロック歌手忌野清志郎さん(享年58)が5月2日に七回忌を迎える。今年はデビュー45周年にもあたり、同日は東京・渋谷公会堂にミュージシャンが集まり、特別ライブが開催される。清志郎さんは、その音楽の魅力や人柄から幅広いジャンルの人たちに影響を与えました。今日から3日間、ゆかり深い著名人が登場する連載「5・2 七回忌に語ろう ボクと清志郎」で秘話を紹介します。第1回は東京・日野高の同級生、俳優三浦友和(63)です。

 三浦 最後に会ったのは亡くなる4カ月前。母校のOB展でした。復活を信じて疑わなかったんだけど、この時だけは抗がん剤の影響で顔がむくんで髪もなかった。初めて少し不安がよぎったのを覚えています。

 実は清志郎さんがかつて率いたバンド「RCサクセション」の再結成を水面下で働きかけていた。

 三浦 亡くなる4、5年前かな。僕が「みんな、またRCを見たいんだよ。やらないの?」と尋ねたら「俺はいい。チャボ(ギター仲井戸麗市)もやると思うけど、ベースをやめたリンコさん(小林和生)が無理だろうな」というから「じゃあ俺が口説いたらやる?」「うん、やる」って。

 小林に電話するとOKの返事だった。

 三浦 僕の家でキヨシちゃんとリンコさんと3人で会って意思確認してね。ところが、チャボさんが首を縦に振らなかった。何度もファクスで説得したのですが…。断念した後にキヨシちゃんが病気になってしまった。 出会いから40年以上。自分もミュージシャンを志していたこともあり、清志郎さんは憧れの存在だった。

 三浦 清志郎とチャボさんは仲良かったし、葬儀で再会したチャボさんとリンコさんも抱き合ってた。それでもバンドは難しい。彼は高校時代から僕の最も身近な憧れだった。RCがフォークからロックになって初の日本武道館公演を見てからは、本当にファンでした。あの時のキヨシちゃんは「妖精」に見えた。エンターテイナーとして素晴らしかった。純粋にもう1度見てみたかった。友達としてもね。

 親子で多大な影響を受けている。

 三浦 そういえば、息子(長男三浦祐太朗=30)がバンドデビューする時、彼がくれたはがきに「バンドは大変だぞ。でも頑張れ」って書いてあった(笑い)。今でも息子の部屋に大切に張ってあるみたい。子供の時も小さいギターをもらっていた。最近、キヨシちゃんが使っていた僕のギターが手元に戻ってきて、「使うか?」と渡したら「もったいなくて使えない」だって。息子にとっても偉大な存在なんです。いつか胸を張って弾けるようになりたいと思っているんじゃないかな。

 清志郎さんへの思いは、折に触れて話してきた。

 三浦 特別なメッセージを持っていて、中途半端に生きていなかった。スケールは違うかもしれないけど、ジョン・レノンみたいな人間なんです。そんな忌野清志郎のことを僕は忘れてほしくない。だから伝えたいんです。【瀬津真也】

 ◆三浦と清志郎さん クラスは違ったが通学路が同じでともに音楽好き。「テレビに出てスターだった彼の『才能のないヤツは大学へ行け』の言葉に感化され、僕もミュージシャンを目指した」。高校卒業間近にRCサクセションの楽器運びなどをしながらギター破廉ケンチと同居。「音楽の才能がないことを自覚した」と俳優の道に。山口百恵さんとの結婚式にも招待するなど家族ぐるみで交際。88年の反核・反戦のレコード「COVERS」にはコーラスで参加。単独公演にゲスト出演などもした。毎年恒例の母校の美術展にも一緒に出席した。