ニューヨークで好評上演中のミュージカル「王様と私」で、ブロードウェー史上初めて日本人指揮者がロングラン公演のタクトを執って話題になっている。

 渡辺謙主演でトニー賞4部門に輝いたミュージカルのオーケストラを指揮したのは、ニューヨークを拠点に活躍する伊熊啓輔氏(50)。このオーケストラのオーボエ・イングリッシュホルン奏者からこのほど副指揮者に抜てきされ、8月19日に電撃デビューした。場所は過去数々のヒット・ブロードウェーミュージカルを上演したリンカーンセンターシアター。これまで4回指揮を執り、今後もタクトを振る予定だ。

 抜てきは急転直下で決まった。7月中旬、補充の指揮者を募集していた製作サイドに立候補。リハーサルで実力が認められ、登用に至った。

 伊熊氏は「ミュージカル・ディレクターのテッド・スパーリング氏から本番の5日前に告げられ、あまりにも早い展開に本当に驚きました。大舞台で指揮できる喜びと、大役を任された重圧が入り交じって、24時間、ショーのことが頭から離れませんでした」と振り返る。トニー賞主演女優賞のケリー・オハラや、助演女優賞のルーシー・アン・マイルスを見事に率い、指揮は大成功のうちに終わった。

 「緊張感を味わいながらも、3時間、キャストとオーケストラを無事に統率することができました。ショーを客席で観覧していたスパーリング氏が終演直後にピットに現れ、おめでとうと言葉をかけてもらい、今週の土曜日も任せるよと言われた時は、一気に肩の荷が下りて安堵(あんど)感に包まれました」

 指揮法は20代のマンハッタン音楽院時代に基礎を学んだが、米5大オーケストラの1つであるニューヨーク・フィルハーモニックの一員として世界中を回った経験も大きかったという。また、渡辺謙との出会いも多大な影響を与えた。

 「プレビューを含め、渡辺謙さんとは4カ月一緒に仕事をさせていただきました。彼のソロである王様の歌で私が演奏するイングリッシュホルンとの絡みがあり、それがきっかけで楽屋にも行き来できる関係を持たせていただいたのは、本当に良かったです。私が指揮をしたい気持ちになったのは、謙さんのチャレンジ精神を間近で見たからにほかなりません」

 「王様と私」の王様役でトニー賞の主演男優賞候補にノミネートされた渡辺謙は、映画撮影のため7月12日で出演を終えた。そのため主演と指揮者の“日本人コラボ”は擦れ違いで実現お預けとなったが、復帰を予定している来春には共演の可能性が高まる。その日が大いに待たれる。

 ◆伊熊啓輔(いくま・けいすけ)1965年(昭40)、東京都生まれ。オーボエ、イングリッシュホルン奏者、指揮者。慶応義塾高校入学後、オーボエを始める。慶応義塾大学法学部卒業後、ニューヨークのマンハッタン音楽院に留学。全額奨学金の特待生として前ニューヨーク・フィル首席ジョセフ・ロビンソン氏に師事。同院卒業後、香港管弦楽団の首席、フロリダ州のニューワールド・シンフォニーの首席、ニューヨーク・フィルのオーボエ奏者とイングリッシュホルン奏者を歴任。現在はハドソン・バレー・フィル、ニュージャージー・シンフォニー、プリンストン・シンフォニーなどのオーケストラ奏者として活躍中。「ウィキッド」「オペラ座の怪人」「メリーポピンズ」「ピーターパン」など数多くのブロードウェーミュージカルにも出演し、ジャンルにとらわれず多岐にわたる演奏活動を行っている。

 96年に刊行されテレビドラマや映画化された林真理子の小説「不機嫌な果実」に登場する音楽評論家「通彦」のモデルになった。