大橋巨泉さんは、純粋で、ユーモアがあり自由が好きで、平和が好きな人だった。民主主義を生き方で表している人だった。

 取材をするようになったのは、巨泉さんが2001年に参院選に出馬した時だった。

 「民主主義とは、あなたの言っていることにボクが100%反対だとしても、あなたが意見を言う権利は100%認める、ということだよ」と話していた。

 子どものころは「戦争にも最後は神風が吹いて神国日本が勝つと信じていた皇国少年だった」と笑って話した。それが終戦で一夜にして変わる大人たちの様子をみて、「いったい今までは何だったのか」と気付いた。自由を目指す原点だ。

 ジャーナリストを目指し、早稲田の政経学部新聞学科に入った。アメリカにも憧れ、ジャズにのめり込んだ。中退し新聞記者になることはあきらめたため、僕ら子どもほどの年の離れた記者に対しても「言論の自由を守るのがジャーナリストだ」とリスペクトして接していた。純粋だった。

 「11PM」は、親に隠れて見ていた、と話したことがある。「11PMで、政治の話からギャンブル、エログロ・ナンセンスまで扱ったのは、テレビの中で言論の自由というものを表現するためだ」と話していた。巨泉さんがやっていたことは、個人の権利を認めた自由や民主主義が、どれだけ楽しいか、素晴らしいか、ということを伝えることだったのだ。

 巨泉さんは参院議員になったわずか半年後に突然辞職する。

 当時の民主党内は右から左まで一枚岩ではなく、芸能の世界から来た大物でも一議員になったら意見が通ることはなく、票稼ぎに利用されて失望して疲れて辞めた。「巨泉という名前に泥を塗ってしまった」と後悔していた。

 僕は「そんなに簡単に辞めるならば、最初から政治家になどならなければよかった」と日刊スポーツの紙面で批判した。巨泉さんはやりすごすことなく、自身の「週刊現代」の連載の中で「君の意見は甘んじて受ける」と応じた。

 「ボクがあなたの意見に100%反対だったとしても、あなたが意見を言う権利は100%保証する。それが民主主義だよ」。巨泉さんから教わった。

 言いたいことが言えなくなる風潮や、知りたいことが隠される世の中になり始めていると、今の日本に最期まで警鐘を鳴らしていた。そういう人がどんどん少なくなっている。【ニッカンスポーツ・コム 南沢哲也】