演歌歌手細川たかし(66)が大みそかの「第67回NHK紅白歌合戦」の出場を辞退し、同番組から卒業することを表明した。このほど日刊スポーツの取材に応じ、その決意と心境を明かすとともに、昨年まで合計39回出場した同番組出演の思い出を語った。

 今年出場すれば、40回の節目。大台を前に、番組卒業の理由を明かした。

 「昨年、森進一先輩が番組を卒業されて、今年は私かなと。紅白の舞台に立つことは、歌手として1つのステータスで、最大の夢。でも枠は限られているし、世代交代も必要です。『のど自慢』『うたコン』など、NHKの番組には今後もぜひ協力させていただきたいのですが、紅白は卒業させていただきます」

 決意を固めた細川の表情は、実にすがすがしかった。75年、デビュー曲「心のこり」で初出場した時の会見や歌唱の写真を眺めて、感慨深げに振り返った。

 「おお、キャンデ(ィ)ーズに、ダウン・タウン(ブギウギ・バンド)かあ。宇崎(竜童)さんも若いなあ。レコード大賞の最優秀新人賞をいただいて、すぐにNHKに移動してのトップバッター。お師匠さんの三橋美智也さんはじめ、フランク永井さんとか、そうそうたるメンバーがいる中で重量感が違ったよ。夢のように終わっちゃったな。当時は、今の紋付きはかまじゃなくてスーツ姿が多かった? 大御所しか着物は着られなかったんだよ」

 大トリも2度務めた。初めての83年「矢切の渡し」は、日本レコード大賞で初の連覇を達成した直後だった。

 「感動して、泣きながら歌ったのを覚えています。連覇した数時間後で、まさに物の見事な展開でしたが、それくらい、大トリにも価値がありました」

 翌84年に「浪花節だよ人生は」を歌った際には、番組史上初めて歌詞を間違えるハプニングも経験した。都はるみの引退宣言(当時)で注目され、視聴率は78・1%を記録。紅白の人気が絶頂の時代だった。

 「その3年くらい前から歌詞が画面に出るようになって。今でも覚えてるけど、村田英雄先生が『いつか、誰かがやるな』って言っていたら、俺がやっちゃった(笑い)。間違いに気付いて歌ってる最中に『すいません、間違えました』と謝ったら、目の前の審査委員もずっこけてね。終わって村田先生からも『たかし、やっぱりお前か~』って。その後もいろいろな歌手が間違えていったけど、何でも最初だよ(笑い)」

 ここ数年は、AKB48やももいろクローバーZらアイドルともコラボして番組を盛り上げた。紅白への思いが強いからこそ、若手への期待も膨らんでいる。

 「番組から、演歌をなくしてほしくないのが念願。そのために、演歌の若手もどんどん出てきてほしいし、頑張って育てたい。自分の弟子(杜このみ)が、今度は出られるようになったらうれしいです」

 もちろん、細川の歌手人生はまだまだ続いていく。

 「最低でもあと10年。できれば80歳まで続けたい。何十年も続く『のど自慢』で全国を回って歌いたいし、永遠に声が出る限り歌いますから、ファンの皆さんはご安心ください」

 最後まで力強く、そしていつもの豪快な笑顔だった。【大友陽平、瀬津真也】

 ◆細川(ほそかわ)たかし 本名・細川貴志。1950年(昭25)6月15日、北海道・真狩村生まれ。75年に「心のこり」で歌手デビューし、第17回日本レコード大賞最優秀新人賞。82年「北酒場」、83年「矢切の渡し」で史上初の日本レコード大賞2連覇。84年「浪花節だよ人生は」では同賞最優秀歌唱賞。ほか「望郷じょんから」「北国へ」などヒット曲多数。民謡三橋流名取(三橋美智貴)。趣味はゴルフ、スキー。血液型A。