歌手北島三郎(80)と鳥羽一郎(64)が17日、都内で会見を行い、16日に84歳で亡くなった師匠で作曲家の船村徹さん(ふなむら・とおる、本名福田博郎=ひろお)を悼んだ。

 2人は神妙な面持ちで会見場に現れ、恩師への思いを語った。昨夜に訃報を聞いたという北島は「もう答えようがないですよ。私も鳥羽も歌手としての父親ですから」とうつむきながら話した。2人とも最後に会ったのは先月行われた船村さんの「文化勲章受章を祝う会」だったといい、北島は「一月前までは立派な勲章をいただいたパーティーで喜んでいたあのお顔が、1カ月でなんでこんなになっちゃうんだと、悔しさと言いようのないつらさがあります」。鳥羽も「(聞いたのは)昨日の午後3時ごろ。ちょうど福岡に行ってまして、帰ってきたらお知らせがありました。半年前にちょっと体調崩して入院していたけど、元気になってお酒も少し飲んでいた。本当に信じられませんね」。

 船村さんは北島の「なみだ船」や「風雪ながれ旅」、鳥羽の「兄弟船」など多くの楽曲を手掛け、13年には2人にデュエット曲「男の友情」も提供した。北島は「めったに褒めない人ですが、先月のパーティーの時は『いい歌歌ってるな』『まつりもいい歌だな』と言ってくれた。でもちゃんとオチもあって、『歌はいいけど、芝居はまあまあだな』と言われたのをハッキリと覚えています。その時はこんなことになるとは思っていませんでしたから」。鳥羽も「自分はほめてもらったことはないですから。でも本人の前じゃ褒めはしないですけど、自分たちがいないところで褒めてくれていたみたいで。『あいつら頑張ってるんだ』って人伝えで聞いたりね」とかみしめるように話した。

 また、鳥羽は船村さんから最後にもらったという昨年1月発売の「悠々と…」について「(船村さんの)遺書のような歌なんですよ。『たとえば俺が死んだなら いのちのすべてを灰にして 北の空から撒いてくれ ハマナスよりもなお赤くなお燃えて 原生花園に咲くだろう』。これが最後の歌でした」と話し、ハンカチで涙をぬぐった。

 最後に、故人にかける言葉を聞かれた北島は「言葉は決まっていますよ。感謝しています。今日まで育ててくれてありがとうございます。どうぞ見守っていてほしい。空から見ていても恥ずかしくない道をもう少し頑張って歩んでいきますから」と話した。