23日に結腸がんによる腸閉塞(へいそく)で急死した落語家三遊亭円歌さん(享年85)の通夜が26日、落語協会葬として東京・青山葬儀所で行われた。1945年に落語界に入り、「山のあな、あな」で知られる新作落語「授業中」で人気を呼び、96年から06年まで落語協会会長を務めただけに、桂米丸(92)桂文枝(73)ら落語家、寄席関係者など約400人が弔問した。

 会場には「授業中」が流れ、祭壇は菊の花などで山の形と「山のあな、あな」の文字が飾られ、遺影は数年前の国立演芸場カレンダーの表紙の写真、CMでアテレコしたチンパンジーにぬいぐるみも置かれた。ひつぎに「道」と自筆した扇子、手ぬぐい、木製めがね、愛用したハイヒールの草履、一番上等の黒紋付き、はかまが入れられた。法名は「本遊院円法日信法師」。

 通夜後、妻令子さん(73)が会見。「こんなに早く亡くなるとは思わなかった。病院が嫌いで、3月に2週間入院したけれど、『2度と入院しない』と言ってました」。声が出にくくなったが、亡くなる前日にはすしも食べ、ビールも飲んだという。「最後の言葉は『ありがとね』でした。わがままだけど、優しい人。女性も好きで、幸せな人生でした」。

 弔問した三遊亭小遊三(70)は「見ているだけで勉強になった。受け方が違うので、ああなりたいとよだれを流した」と振り返り、林家木久扇(79)は「よく飲みに連れて行ってもらい、帰りに車代をくれた。ずっと売れっ子だったから、機嫌の悪い時はなく、楽屋でもテーブルに分厚い財布をどんと置いていた。お金持ちを見せていたんだね」と懐かしんだ。【林尚之】