スポーツ新聞の記者、特に目の前でめまぐるしく状況が変わるスポーツの現場を目の当たりにしていると、感動や興奮のためか、表現が若干、オーバーになりがちだ。現在は芸能記者で、あまりそういった場面に出くわすことはないが、かつてサッカーやボクシング、五輪競技を取材していたころの記事を見返すと、かなり「盛った」表現があって、苦笑いする。

 それでも、自分の原稿では決して使わないようにしている言葉が、昔からいくつかある。まずは「オーラ」。街で有名人を見かけたときなど、「この間、俳優の○○さんが渋谷を歩いてたんだけど、さすがにオーラがあったよ…」なんて、もはや日常会話でも登場する言葉でもある。ところが、辞書で意味を引いてみると、「人体から発散される霊的なエネルギー」とある。一時期、「オーラが見えるタレント」なんて人がもてはやされたが、残念ながら、私にはそんなものはまったく見えない。「雰囲気」という言葉で十分、代用できる表現だ。

 「奇跡」という言葉は、オーラよりも登場しやすいかもしれない。サッカー日本代表が96年アトランタ五輪でブラジルを破った一戦は、日本では「マイアミの奇跡」と呼ばれていたり、スポーツ界でも御用達レベルの頻出単語だ。本来の意味は、「人知を超えた超自然の力が引き起こす現象」。有名なのは、旧約聖書に登場する、「モーゼが手を上げると、海が割れて道ができた」というアレだ。そんなもの、一生に1度、見られるかどうか。海が割れる原稿を書く時にでも使うことにしよう(笑い)。

 「カリスマ」も宗教用語で、「預言者などが持つ超人的な資質」を意味する。ところが、ショップの「カリスマ店員」、株取引の「カリスマトレーダー」など、こちらはずいぶんと大安売りだ。よほど理解を超えた力を持つ場合を除き、「やり手」ぐらいが適当な表現だろう。

 こうしてみると、宗教用語が軽々しく使われる例が多いようだ。海外ではどうだろう? かつて海外のスポーツ記事を担当していたころ、英文記事も相当読み込んだが、「奇跡(=ミラクル)」という表現以外はほとんど目にしたことがなかった。メディア乱立時代の昨今、大げさな表現に踊らされることなく、事実を淡々と書こう…なんて思っていたら、担当するAKB48の記事で思わぬ言葉が乱発されていた。「神セブン」…。