今年秋に歌手デビュー50周年を迎える和田アキ子(67)が本音を明かした。デビュー日にあたる10月25日に一部収録曲をファン投票で決めるベストアルバム「THE LEGEND OF SOUL」を発売する。日刊スポーツなどのインタビューに応じ、葛藤や反骨心、プロ意識などをざっくばらんに語った。

 和田は、抜群の歌唱力や強烈な個性を武器に、第一線に立ち続けているが「いやあ~、よくここまでやってこれた。50年もやれると思っていなかった」と振り返る。

 歌手になるつもりはなかった。洋楽好きもあって出入りしていた地元大阪のジャズ喫茶やゴーゴークラブでスカウトされた。17歳だった。現在も所属するホリプロの当時社長で、現在はファウンダー最高顧問の堀威夫氏の目に留まった。「君を米国でも売り出したい」と才能を高く評価され、堀氏の父親宅に下宿するため上京した。18歳でデビューしたが、174センチの長身が目立って「大きい女は売れない」とやゆされた。「デカイからそばへ寄らないでくれとか言われた時に(売れて)5年もったらハイヒールを履こうと決めました。だから5年もてばいいと思っていたぐらいなんです」。人気や実力と身長は無縁と証明したかった。

 デビュー曲は「まったく売れなかった。何やってもダメでした」。世間は冷たかった。仕事場に楽屋や控室は用意されておらず、運転手付きの車もない。おまけに当時はグループサウンズ全盛期。「ホリプロにもグループがいて、売れてるから新幹線のグリーン車。私は普通車。当然だけど、何でやねんって!!」。悔しい思いは続く。「デビュー曲はバラードで公開番組なんかで歌うと、グループサウンズのファンがトイレに行ったりするから、番組スタッフにはリズムがある『B面を歌えよ』って言われた。ものすごい屈辱ですよ」。先輩歌手と違いフルコーラスを歌わせてもらえなかったことも度々あった。しかし2枚目シングル「どしゃぶりの雨の中で」がヒット。その後「笑って許して」の大ヒットもあり、NHK紅白歌合戦にも出場し、人気歌手の仲間入りを果たした。

 今では「芸能界のご意見番」と称される。世間が抱くアッコ像について「演じていますよ」と明かす。「ご意見番ってどういう意味かいまだに分からない」と笑い、「タブーを恐れず本当のことを言うってのが、昔はなかったんでしょう」と分析する。「強い」「怖い」イメージが先行するが「やんちゃはしてきたけど新聞に載るようなことはしてないんです、意外に」。理由は明快だ。「私が背負う責任って大きいんです。スタッフは家族を持ったりしている。何かあったら全部ダメになる。迷惑掛けられないからものすごく気を付けている」。相次ぐ芸能人の不祥事を、出演番組で批判することもあるが、自分を律しているからこそ言えるのだ。

 実は体は満身創痍(そうい)だ。ポリープで2回の手術、自然気胸や肺気腫、子宮がん、足の骨折、椎間板ヘルニアも患った。最もつらかったのは現在の夫と結婚してすぐ子宮の全摘出手術をした時だ。子供は望めなくなったが「歌手和田アキ子が好き」と夫は言った。精神的に弱って「死にたい」と言ったら「歌を待っているファンがいるじゃないの」と励まされた。「私の歌を聴いて元気が出るって人がいる限り歌い続けたい」。夫、スタッフ、そしてファンに感謝しながら歌い続ける。【杉山理紗】

 ◆和田アキ子(わだ・あきこ)1950年(昭25)4月10日、大阪府生まれ。68年シングル「星空の孤独」でデビュー。70年「笑って許して」でNHK紅白歌合戦初出場。代表曲は72年「あの鐘を鳴らすのはあなた」や74年「古い日記」など。85年10月から司会を務めるTBS系「アッコにおまかせ!」がスタート。血液型O。

 ◆堀威夫氏のコメント 「よく50年やってこれたね。とはいっても1年1年、年は取っていく。あとは体調に気をつけて100年は無理だろうが、次は60周年に向けて頑張って下さい。本当におめでとう」。

 ◆和田アキ子50周年 ベストアルバム収録曲を決める投票は今日29日から50周年特設サイト(http://ako50.com)でスタートする。候補86曲から選ばれた上位10曲を収録予定。いきものがかり水野良樹(34)が手掛けた新曲(タイトル未定)も収録する。水野は和田の代表曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」も作詞した阿久悠さんに強い影響を受けており、今回自ら名乗りを上げた。50周年に合わせツイッター、フェイスブック、インスタグラムも開設、記念のコンサートツアーも行う予定。詳細は50周年特設サイト参照。