中山秀征(50)がテレビへの思いを語る連載の第4回のテーマは「視聴率」です。各局が視聴率争いを展開する中、年間視聴率は日本テレビが3年連続の3冠(ゴールデン、プライム、全日)を達成するなど1強時代が続いています。現場を知るヒデちゃんが、肌で感じたエピソードを紹介します。

 テレビの順位って、時代時代で変わっていくものだと思う。日テレがダントツですけれど、僕がデビューした80年代中盤はフジテレビが「オレたちひょうきん族」など人気番組が多く、全盛期でした。

 94年、日テレがフジから年間視聴率3冠を奪取した時のことは、はっきり覚えています。その年は95年の元日が年間視聴率の集計の締め日でしたが、94年大みそかの時点で、差が0・1%くらいで日テレが負けていたんです。日テレ関係者は「何が何でも逆転する!!」と意気込んでいて、逆転を狙って元日朝から水泳大会をやったんです。それで女の子のおっぱいを出したんです(笑い)。僕はその時、会場の東京サマーランドにいて、頭にカメラをつけて中継していました。女の子が水着で次々と僕をまたいでいくんです。元日の朝から、おっぱいですよ。それぐらい攻めて、結局逆転して3冠王になるわけです。テレビ局の方々の視聴率に対するすさまじい執念を肌で感じました。

 他にも強烈に覚えていることがあります。僕は日テレで「TVおじゃマンボウ」という番組宣伝バラエティー番組をやってました。各局の番組も合わせた「視聴率ランキング」というコーナーがあって、上位に日テレの番組が入っていなくても放送していました。他局に負けた姿も視聴者に堂々と見せた。強い気持ちと覚悟を感じました。

 日テレはその後、フジに抜かれ、そこから再び抜き返して現在に至るんです。結局テレビの順位って変わっていくものなんでしょうね。ヒット番組が1つ出るだけで局のカラーが変わるし、今は不調でも、きっかけ1つで簡単に変わっていくものなんだと思います。 一方で、今は録画機器が進化していて、後から自分で好きな番組だけを選んで見ることができたりするじゃないですか。テレビ局がいろいろ工夫を凝らしている編成を、自分でできちゃったりする。インターネットTVみたいな新しいものも出てきています。大きな波が来ているのかもしれませんが、テレビはなくならないし、僕はテレビが好きなので、盛り上げていかなければと思っています。