俳優小林稔侍(76)が芸歴58年目にして映画初主演する「星めぐりの町」(黒土三男監督)が公開中だ。1961年(昭36)に東映ニューフェースとして映画入りしてからの歩みを聞いてみた。

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 頼りになる中間管理職、若者を見守る上司、優しいお父さん…。俳優小林稔侍は包容力、そして芯の強さを感じさせてくれる。

 「いやいや、オカマの役から始まって、いろんな役をしていました。目を駆けてくれっているプロデューサーに『何であんな仕事するんだ』って叱られたりしましたね。でも、女房子供抱えてますからね。コレ(お縄)にならない事ならなんでもしますよ」

 86年、明治、大正期に活躍した女性新聞記者の半生を描いた、斉藤由貴主演のNHKテレビ小説「はね駒」に出演。ヒロインを厳しく、そして温かく見守る父親役で注目を集めた。

 「最初はね、4番手か5番手の役だったんですよ。明治のお父さんの役だったじゃないですか。普通だったら、明治のお父さんでNHKなんていうとね、ひげ生やして偉そうな感じじゃないですか。だから、そういう感じじゃないから、本当に僭越(せんえつ)だったんですけどね、辞退したんですよ。そしたら『あなたでいい』と言う」

 1度は断った役が、俳優小林稔侍に光を当てた。

 「たまたま、僕のような、ちょっと匂いの違うのが、そういう役をやらせてもらった。あなたの好きなようにやりなさいっていう、その辺の落差みたいなのが、よかったんでしょうね。まあ、役がよかったんですよ。ものすごくあの、黙ってて、人のために、家族のために尽くすという。だから出番も2、3シーンしかないわけですよ。それがねえ、うけたっていうのは、人のために黙ってやるっていうのは、これなんだなと思いましたよ」

 映画で、テレビで画面から、包容力があふれ出る。良い上司であり、お父さんであり、時にはすごく厳しく、だらしなく、情けないところも見せる。演じる中で、自分に対する厳しさを感じさせてくれる。

 「いや、本当、芯のところは、人には言えませんけどね(笑い)。芯のところはそうじゃないと、僕程度の人間がね、ここまで、飯は食ってこられないと思うんですよ。何しろ養成所を出て、最初に撮影所に行った時に正門の前でね、『あー、自分は50歳くらいにならないとダメだな』と思いましたからね。それがねえ、皆さんによりかかって、それなりに、かわいがっていただいて。本当、思い返すと寄りかかりの人生ですよ、本当に(笑い)」

 出会った人に支えられた。出会った作品に育てられた。

 「僕は、役者の世界しか知りませんけども、やっぱり、人との出会いって言うんですかね。振り返ってみますとね、全部人との出会いで成り立って来るわけですよね。まあ、どの商売でも、生きてる限り皆そうだと思うんですけども。だから僕は人との出会い、出会いが自分の運勢を決めるんだなと思っています。この映画を撮影していても、震災で家族を亡くした子供が、だんだん自分の考えを持つようになるじゃないですか。一緒に住む、主人公の影響を受けてね。それを撮影中ずうっと見てましてねえ。自分を振り返ってみると、全くその通りだなあと思って」

 いい出会いも、悪い出会いもあった。

 「やっぱり、人生は出会いで決まって行きますよね。僕が最初に、東京に出て来た時に。保証人っているわけですよ。でも、東京なんかに知り合いいないじゃないですか。そしたらね、おやじの同級生に、東大出た人がいるんですよ。おやじは尋常小学校しか出てないんだけども、ガキの頃の友達だから。『、そうだ、あいつに保証人になってもらおう』って。最初に東京出て来て、まず御約束したホテルに行ったんですよ。そしたらねえ、ホテルの前に立ったら、ドアが自動的に開いたんですよ。びっくりしてね。そういう、時代ですよ。それで、水洗トイレでね、ジャーって水が止まらないわけですから、こりゃあ大変なことになるなあっていう。本当にね、そんな時代の僕ですから。それで、その人に初めて対面した時に、名前をまず言おうと思ったんですよ。そうしたら頭を下げる前に『出世しようと思ったらかわいがられなきゃダメだぞ』って言われたんです。嫌な人だなあって思ったんですよ、僕は。偉くなろうと思ったら、出世しようと思ったらかわいがられなきゃダメだぞって、僕はね『ゴマをすらなきゃダメだぞ』って取るくらいの、ちっちゃな人間ですよ。嫌な人だなあって思ったんですよ」

 ゴマをすってかわいがられる人生を拒絶した。だが、ゴマをすることなくかわいがられた。

 ◆小林稔侍(こばやし・ねんじ)1941年(昭16)2月7日、和歌山県生まれ。61年東映ニューフェイス。63年映画「警視庁物語 十代の足どり」で俳優デビュー。75年ピラニア軍団結成。映画では78年「冬の華」、81年「駅 STATON」、98年「学校3」などで活躍、99年に「鉄道員(ぽっぽや)」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞受賞。テレビでは86年にNHKテレビ小説「はね駒」の主人公の父親役で注目を集め、89年テレビ朝日系「なんでも屋奮戦記」でテレビ初主演。180センチ。血液型A。