元フジテレビのフリーアナウンサー有賀さつきさんが、先月30日に、都内の病院で死去していたことが5日、分かった。52歳だった。本人の遺志で死因は明らかにされず、家族も突然の死と受け止めたが、本人は死期を悟っていたようだ。88年にフジテレビに入社。八木亜希子(52)河野景子(53)との3人娘で「楽しくなければテレビじゃない」と同局の黄金期を支えた。病魔と闘いながらも、最後までテレビでは笑顔を見せていた。

 父の洋さん(84)によると、有賀さんは先月30日朝、入院中の都内の病院で容体が急変し、亡くなった。「午前8時ちょっと前、亡くなったと病院から電話がありました」。有賀さんの長女(15)とともに病院に駆け付けたが、既に帰らぬ人となっていた。31日に通夜、今月1日に密葬が行われた。病状、死因については有賀さんの遺志で明かされない。洋さんは「何を申しましても本人の遺志を尊重したい。他人に迷惑をかけたくない一心ではないでしょうか。残念ですが受け止めてほしい」と話した。

 有賀さんは病気を誰にも伝えず、闘病生活を送っていた。周囲から痩せすぎを指摘されると「ダイエット」と言い、病気の治療によって少なくなった頭髪を隠すためのかつらも「すごく便利」と周囲に話していたという。今年に入り心配した洋さんが検査を勧め、先月中旬に入院。亡くなる3日前に洋さんは見舞っていた。「痩せ衰えてはいたが、検査入院だと思っていた。そろそろ退院かと思っていたので、全く予想外。電話を受けたときは、わが耳を疑った」と振り返った。そして「父親として本当に彼女らしい人生だったと思う。自分の意志で全て1人でやって来た。その強さ、独立独行してきた人生。少し早すぎますが、本当にありがとうございます」と、誰からも愛された愛娘を思いやった。

 周囲に病気を告げなかった有賀さんだが、病状の重さは悟っていた。仕事は昨年末までにすべて整理し、年明けのオファーなどは、家族の介護などを理由に断っていたという。関係者によると、銀行口座をはじめ、本人でないと解約できない各種口座などを整理していたといい、残された人間に迷惑がかからないようにしていた。ただ、残される長女のことは最後まで気にかけていたという。

 フジテレビに在籍したのは、88年4月から92年10月までの4年7カ月。アイドルアナの走りだった。3人娘と呼ばれた中では清楚(せいそ)な八木アナ、可憐(かれん)な河野アナと比べ、身長170センチで天真らんまん、いつも笑顔の有賀アナは圧倒的に華があった。スポーツニュース、バラエティーと引っ張りだこになった。

 02年3月にフジテレビ解説委員の和田圭氏(65)と結婚し、同年11月に長女を出産。06年5月に離婚を発表した際には「夫婦だったけど上司だった」と独特の表現をして、その後はシングルマザーとして長女を育てながら仕事をこなした。睡眠時間を削りながらの奮闘にブログで弱音を漏らすこともあったが、最後まで明るい笑顔のイメージのまま帰らぬ人となった。