下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱のため、8日に70歳で亡くなった、大相撲の元横綱でプロレスラーやタレントとしても活躍した輪島大士さんの葬儀が15日、東京・青山葬儀所で営まれた。好角家で親交のあったミュージシャンのデーモン閣下が弔辞で自身の楽曲「千秋楽」を歌い、輪島さんを見送った。他に錦野旦(69)福沢朗(55)原辰徳氏(60)八角理事長(55=元横綱北勝海)ら約300人が参列した。

デーモン閣下は弔辞の終盤、「破天荒な横綱ということで、ご葬儀も破天荒でと葬儀委員会の言葉を頂き、1曲歌わせてもらいます」と切り出した。数年前に作ったという楽曲「千秋楽」を心を込め歌った。力士が引退する時をイメージし作った。スローテンポで哀愁を帯びた曲には、寂しさと門出を祝う両方の意味が込められている。公演以外では決して歌うことのない閣下の声が会場に響き渡った。

「こみ上げるものがあるかと思ったら、しっかり歌わなきゃという気持ちが強く、そうならなかった。今まで、どの引退相撲でも歌ったことがなかった。最初が輪島さんだったのは非常に感慨深い。歌詞の中に『日輪』という単語があるが、太陽でなく『日輪』にしたのは輪島さんの『輪』を入れたかったから。その瞬間は思わず遺影を見た」

葬儀の間、いろんなことを思い出したという。

「個人的に付き合うようになったのはプロレスもやめた頃。前向きで『今度、ああいうことをやろう』と次から次へとアイデアを出す。この人は前向きだと強く感じた」。2人と白鵬の関係も明かした。「白鵬が横綱になる前、輪島さんがアドバイスをする中、日本語に英語も混ぜていた。白鵬が『英語は通じない』と何度も突っ込んでいた」と、素朴で明るかった輪島さんの在りし日を笑って振り返った。

最後は「わが輩を相撲ファンにさせた男」と語ると、破天荒といわれる輪島さんを「近代を相撲界に持ち込んだ最初の横綱」とした。相撲界に輪島さんが残っていたら「昨今のゴタゴタも少しは解決する役割を担っていたかも」と語った。

出棺の際は、喪主の妻留美さんが「主人は自宅のソファでテレビを見ながら静かに眠るように座ったまま亡くなっていました」と明かした。続けて「ご迷惑をおかけすることも多かった人生ですが、最期は1人で誰にも迷惑をかけず、静かにとてもいい顔で眠っておりました」と涙声であいさつした。

霊きゅう車の通路には輪島さんの代名詞「黄金の左」にちなみ黄金のカーペットが敷かれた。発車時には現役通算白星と同じ673の黄金の風船が空に放たれた。