2時間ドラマ「家政婦は見た!」などで知られる演技派女優の市原悦子(いちはら・えつこ)さんが12日午後1時31分に心不全のため都内の病院で亡くなった。82歳。3年前に自己免疫性脊髄炎で入院するなど芸能活動をセーブしていた。昨年12月に盲腸となり、それが悪化して、正月2日から入院していた。平成最後の年に、多くの人に愛され、親しまれた女優がまた1人、この世を去った。通夜は17日午後6時、葬儀は18日午前11時から、いずれも東京・青山葬儀所で営まれる。

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訃報に動転して、思わず市原悦子さんの携帯に電話をしてしまった。当然、出たのは市原さんではなく、関係者だった。市原さんはいなくなってしまった、あの優しい声がもう聞けなくなると思うと、寂しくて、そして悲しくなった。

何度か取材する機会があったが、いつも、心に残る言葉を語ってくれた。市原さんは新人時代、あこがれのあるスターに会った。その時、スターは顔を見て言った。「どこの生まれ?」と聞かれて「千葉です」と答えたところ「千葉の顔だね」と言われた。

その言葉に傷ついたが、「きれいに生まれたかったなと思っていたから。でも、何か欠陥がある方がバネになる。劣等感を乗り越えるため、何かを身に着けないといけないでしょ。満たされないものを満たしたいという思いが原動力になるんじゃないかしら」と振り返っていた。

ある時は健康の話になったが、市原さんは健康に特に気を使ったりせず、食事も好きなものを食べる主義だった。「何事も型にはめられるのが苦手なの。いつも自由でいたいの。仕事も生活も『今を生きる』ということを大切にしたい。私は女優が人生のすべてと思っていないの。たまたまやってきただけ。女優を続けてこられたのも、自由に遊べたからと思いますよ」。

自由人の市原さんも戦争の話になると、言葉を強めた。「終戦直後の食糧難に少女時代を過ごした自分の務めと思っているの。あの食糧難の時代が、私の原点。戦争って、ない方がいいに決まっている。戦争して何かいいことがあるの。人と争って、1歩でも前に出ようとかいうのは私に合わないんです」。

市原さんに1番お世話になったのは、誰か亡くなった時の追悼コメントだったかもしれない。自宅に電話しても、いつも嫌がらずに話してくれた。そして、いつからか携帯の番号まで教えてもらった。その時の電話の最後に市原さんは「ご苦労さまね」と言ってくれた。市原さん、60年を超える女優人生、本当にご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。【林尚之】