石原裕次郎さん「昭和たずねびと」、森昌子「なみだの桟橋」など400曲以上を手がけ、昨年12月に亡くなった作詞家杉紀彦(本名・杉野明夫、享年80)さんを「しのぶ会」が7日、都内で行われた。

発起人に名を連ねた小林幸子(65)は「新宿コマの舞台で構成と演出をしてもらってからのご縁で、33年くらいのお付き合いです」。最後に会ったのが昨年5月。「ご飯を食べて『おれ、いつまで生きられるのか分からない。でも、全て受け入れているから怖くない』と話していた」と振り返った。その時に、小林に曲を提供する約束をしたという。「幸ちゃんには最後の曲でなく、その1曲前にするよ」。小林は「先生は、本当に亡くなるとはサラサラ思っていなかったから、そういうふうに言ったと思う」としのんだ。別れ際はいつも通り「ホッペにチューをされて別れました」と話した。

鳥羽一郎(66)も発起人の1人だった。「一番叱られた歌い手が自分だった」と懐かしそうに話した。「先生は構成作家をしていて、台本のセリフ通りに自分が言わないと『鳥羽ちんさぁ、お前のために書いたんだよ。台本を読んでよ』と言っていた。最後にはあきらめて、自分のせりふのところに『自由に』と書いてあったんだ」と振り返った。「自分をしかってくれた人がどんどんいなくなっちゃう。さみしいです」。

杉さんがパーソナリティーを務めたラジオ番組のリスナーを年に1回の旅行をしていたことも明かし「そんな人はいないよ。人柄だよね」と寂しそうに語った。