日本文学研究者ロバートキャンベルさん(61)は、井上陽水(70)の楽曲の歌詞を英訳した「井上陽水英訳詞集」(講談社)を5月14日に発売する。デビューからの全作品から50曲を厳選。多彩な解釈が可能で想像力あふれる“陽水ワールド”をどうやって英語に翻訳したのか。親交の深い交友と合わせて聞いた。

   ◇   ◇   ◇

キャンベルさんが陽水の魅力にはまったのは20代だった。「精緻に計算され尽くした曖昧さと夢のような世界観。自分の深いところに巣くう迷いや、悩みをくすぐるような歌詞は同世代のシンガー・ソングライターではダントツ。日本文学の研究者としてすごく面白いと思ったんです」。

09年にNHK Eテレの語学番組「Jブンガク」で、偶然にも陽水の長女の歌手依布サラサ(35)と共演。ある日、依布を通じて陽水ファミリーのバーベキューに招待された。「肉を焼いて、カニを食べて白ワインを飲んで…。そこでは『この歌詞の意味は何ですか?』みたいな話をするわけはなく(笑い)。でも、これをきっかけにライブに行くようになりました」。

訳詞を始めたきっかけは11年に感染症などで長期入院をしたことだった。「50日くらい入院するので、陽水さんの歌詞を写経をするように1日1曲ずつ英訳をすれば、50曲くらいはできるかなと思ったんです」と振り返る。

実際に始めてみると日本語と英語の“言葉の壁”にぶつかった。日本語ではあいまいなままで通用しても、英語に変換する際には意味を確定しないといけない。主語が男性か女性か。時制が現在か過去か。単数か複数かなど。「英語で表現した時に、読んだ人が同じように追体験ができるようにすることは大変。とても楽しいことだったけれど、同時に苦行でもありました」。

直接会って、何度か教えを請うたが空振りに終わったことも。「15年冬に、陽水さんの好きなカキのおいしい店に行きました。質問を全部ノートに書いて行ったのですが、陽水さんは『それはどっちかな。答えは風に舞っている』とボブ・ディランの歌詞を引用したり…。望んでいた収穫はわずか1個か2個。白ワインとカキはおいしかったんですけど」。

そこで一計を案じた。16年にTOKYO FMで2人の対談の特別番組を作ることにした。「最初から『これはどういう意味ですか?』と真っ正面から聞いたんです。すると驚くほど答えを返してくれた」とあらためて感謝した。

「とまどうペリカン」(82年)は、歌詞に登場するペリカンとライオンの関係性から性別まで白熱した議論を展開。2人のやりとりは歌詞だけでなく「傘がない」(72年)のタイトルにも及んだ。最初のタイトルは「I,VE GOT NO UMBRELLA」。これに陽水はダメ出しをした。「『人、それぞれの傘がある。だから、誰か特定の傘になってはいけないから“NO UMBRELLA”にしてほしい。だれの傘かハッキリしたくないんだ』と」。貴重な本音を引き出した同番組は日本放送文化大賞のラジオ部門でグランプリを獲得する高評価を得た。

「病気で苦しい時に始めたことがようやく形になります」。入院から8年。キャンベルさんのひもとく陽水ワールドが、英語でどう表現されるか注目だ。