三田佳子(77)が30日、初代村長を務めた岐阜県関市の「日本平成(へいせい)村」で開催されたイベント「平成まつり」に出席した。

同市の平成(へなり)地区は30年前の元号発表後、同じ文字とあって一躍有名になった。これまで同地区に何度も足を運んだ三田はこの日、平成時代に人生で大きなうねりがあったと振り返り、「令和でも女優として挑戦したい」と前向きに意気込んだ。

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三田はこの日、「道の駅平成(へいせい)」の裏手の池に、ひのき造りで新設された平成から令和への「元号しあわせの架け橋」の渡り初め式に参加した。小雨が降る中、スニーカー姿で登場し「28年前の日本平成村発足の時も初代村長として参加しました。時がたち、村長の役目も終わったかなと思っていたんですが、平成最後の日に渡り初めに参加できたこと、またみなさんに会えたことは幸せです」とあいさつした。

平成最後の日とあって、道の駅平成は終日ごった返した。周辺は大渋滞となり、約10キロも車の列が続いた。平成地区で採取した空気を詰めた缶詰「平成の空気」や同駅で発行した記念切符や記念はがきなど「平成」グッズが飛ぶように売れた。三田も「椎茸スナックがおいしいので、買おうと思ったけれど、売り切れでした」と苦笑いした。

その後、市民も参加したトークショーに登壇。初代村長に任命された時に会った子供たちとも再会した。人気女優でCM女王とも言われた三田に、日本平成村側がダメ元で当時、村長を依頼。三田も「市長じゃなく、村長という響きが気に入った」と快諾した経緯がある。三田は「村長になってから何度も来ました。がんで入院した時、村の人から『4970(よくなれ)』と4970羽の折り鶴をもらい、勇気づけられた。平成は女優として全盛で一番忙しかったけれど、私の人生にも大きなうねりがありました」と振り返った。

NHK大河ドラマ「花の乱」(94年=平6)に主演し、芸能人の長者番付トップになったが、がんなど2度の大病、次男の事件など紆余(うよ)曲折があった。「平成はいい意味でも、悪い意味でも忘れられない時代。令和は『うるわしい』という意味もあるそうで、挑戦する心を忘れずにうるわしく生きたい」。来年は芸能生活60周年。「女優としての後半戦。楽しみながら、生き抜きたい」と前向きだった。【林尚之】

◆日本平成(へいせい)村 1991年(平3)に岐阜県武儀町(現在は関市に併合)の平成(へなり)地区とその周辺一帯を、同町が町おこしの一環で「日本平成村」として開村。三田が初代村長に就任した。同町にある人口37人の平成地区は平成と同じ文字とあって、元号発表後に観光客が押し寄せ脚光を浴びた。96年に「道の駅平成(へいせい)」も開業。三田は同村の植樹祭や道の駅開業などイベントに駆けつけた。