令和の時代になった途端、在京民放3社の社長が代わることが発表された。

5月9日、最初に次期社長が発表されたのはテレビ朝日。亀山慶二常務(60)が昇格する。角南源五社長(62)が就任して3年ということで、早い交代に驚いた。14年に常務に就任した時にあいさつをしたのだが「千広じゃないんですね」と失礼なことを言ってしまった(汗)。当時、フジテレビの社長だった、亀山千広BSフジ社長に引っかけたのだが、滑り気味のところを「慶二ですから、よろしく」と笑っていただいた。

ドラマが好調のテレビ朝日。躍進のきっかけとなったバラエティーと局の看板でもあるニュースに亀山社長誕生で弾みがつけば、王者日テレに迫るだろう。

フジテレビでは、宮内正喜社長(75)が就任2年で会長になり、遠藤龍之介専務(62)が社長に昇格する。かつての王者は低迷し、17年に火中の栗を拾う形で、BSフジ社長からフジテレビ社長に転じた宮内社長は、就任と同時に「非常事態宣言」をして、同年10月、18年4、10月の番組改編で改革を実行してきた。まだ「道半ば」と言ったところだが、視聴率低迷は底を打ち、上昇の兆しを見せているだけに後進に道を譲り、会長に就任するのはグッドタイミングだ。今後、フジが復活すればエルメスで上品に決めた宮内社長は「中興の祖」と呼ばれるようになるかもしれない。

実は先週半ばから、フジテレビの役員人事で大きな動きがあるとの情報があって、連日通い詰めていたのだが、週明けの13日に飛び込んできたのが“遠藤社長”誕生のニュースだった。宮内社長が退く可能性はゼロとは言わないまでも、あと1、2年くらいはやると思っていたので、正直ビックリした。13日は朝の10時からフジテレビに行って、広報、総務、人事、CS放送、BS放送、タレントクローク、社食「ラ・ポルト」とフジテレビ中をうろついた。歩数計には午後2時くらいまでで1万2000歩近くが記されたが、五里霧中。連日、無理を言って、フジテレビ取材を優先させてもらっただけに、デスクにどう言い訳をしようかと思っていたところに飛び込んできたのが「遠藤社長」だった。まさに犬もあるけば棒に当たる。努力は必ず報われるby高橋みなみだ(笑い)。

遠藤専務は、芥川賞作家の遠藤周作氏の長男。05年の堀江貴文氏率いるライブドアによるニッポン放送株買収、フジテレビ経営権掌握を狙った事件でマスコミ対応に当たった。ウイット飛んだ人柄で、殺伐とした取材合戦も和ませてくれる。フジテレビの社内中に張られた、社員証の携帯を呼び掛けるポスターで「社員証 若い日の写真で見栄を張り」というコピーのモデルになっていた。若い日の写真を張った社員証を持って、ニッコリ笑っていたのだ。

テレビ朝日の角南源五社長とは慶大の同級生。フジテレビの人事や編成のことを他局で取材していると、その動向が遠藤専務に伝わっていることがある。「他局には草(忍者)を置いてあるんだよ」と笑っているが、爆笑トークの裏で、ちゃんと記者を品定めしている。ちなみ、記者のことは「白パンツの男」と名付けて呼んでいるようだ。宮内社長の就任後にインタビューした時に「君が、白パンツの男だね」と笑われたのが懐かしい。

父・周作氏の小説「沈黙」が、16年にマーティン・スコセッシ監督(76)によって「沈黙-サイレンス-」として映画化された時には、スコセッシ監督と対談もしている。記者が「沈黙」を新たに買って、読みなおしたことを告げると、遠藤専務は「読まなくてもいいからさ、もう1冊、2冊買って」と笑っていた。女性記者にも人気のムードメーカーの社長就任で、お台場が巻き返しを図る。

そして、16日、日本テレビの小杉善信副社長(65)の社長就任が発表された。90年代前半に「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」「マジカル頭脳パワー!!」「夜も一生けんめい」をプロデューサーとして手掛けていた。当時は「楽しくなければテレビじゃない」のフジテレビの全盛期で、日テレはプロジェクトを組んで追い上げようとしていた。両局の担当だった記者は「フジ×日テレ、バラエティー戦争」みたいな記事を書きまくった記憶がある。当時の麹町の日テレのGスタでは、大きな声で笑うことと大きな音を出して拍手をするテクニックを学ばせてもらった(笑い)。

94年にはバラエティーから、突然ドラマのプロデューサーに。当時、フジテレビのトレンディードラマ担当だった記者は、お手並み拝見と様子をうかがっていたのだが「家なき子」「金田一少年の事件簿」「星野金貨」とヒットを飛ばした。フジを逆転して、94年からの10年連続視聴率3冠王の立役者となった。

思い出されるのは、15年4月期の編成で、日テレが日曜午後10時30分にドラマ枠を設けてEXILE TAKAHIRO(34)主演の連ドラ「ワイルド・ヒーローズ」を発表した時のこと。「いくら何でも日曜の午後10時30分から連ドラは見ないだろう。世の中の人は月曜からの仕事の準備をしてるのでは」と思って、定例会見でツッコんだら、編成担当だった当時の小杉専務が「○○さんが、どんな生活スタイルなのかは知ったことではありませんが、見る人はいると思います」と気色ばんだ。どうもすみませんでした(笑い)。

現在、5年連続視聴率3冠王の日テレ。“小杉社長”が、その数字をどこまでのばせるかに注目だ。小杉社長の先輩で、記者もお世話になった日テレバラエティーの女性プロデューサーだった「麹町の母」も、小杉社長誕生を大喜びしているに違いない。【小谷野俊哉】