国の文化審議会は19日、重要無形文化財保持者(人間国宝)に歌舞伎脇役の片岡秀太郎(77)ら7人を認定するよう柴山昌彦文部科学相に答申した。政府は秋にも答申通り告示する。片岡は、歌舞伎立役の人間国宝だった故13代目片岡仁左衛門さんの次男で、弟の15代目仁左衛門も15年に人間国宝に認定されている。秀太郎は、女形を中心に重要な脇役を務め、上方歌舞伎の技芸を伝承。片岡愛之助(47)の養父としても知られる。

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「本当に寝耳に水で喜んでおります。こんなこと初めてですので、会見に来てくださる人はいるのかなと心配していました」

片岡秀太郎は感謝の言葉を述べて笑顔を見せた。19日は、02年に亡くなった母の命日。母から「あなたはいろんな賞には縁遠いと思うけど、人間国宝だけにはなってほしいね」と言われていた。秀太郎は「母さん、あかんと思っていたが、もらいました」と泣いて報告したと明かした。

46年、京都南座「吉田屋」で初舞台。役者生活73年目。多彩な役柄で円熟の芸を披露してきた。13代目仁左衛門さんが父、兄は片岡我當、弟は当代仁左衛門。5歳の初舞台から、上方を代表する女形となった。

「廓文章」の女房おきさ、「封印切」の女将(おかみ)おえんの役などでは「なにわの情緒」を体現する。だが、立役だった父に教わることはほぼなかった。

「私は女形ですので、実は父からは手取り足取り教えてもらっていません。父から教わった役というのは『近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)』の堀川のお俊。父が我當を襲名したとき、お俊がとても素晴らしかったので『お前に教えるわ』と」

代わって弟の当代仁左衛門は、同じ立役で「15代目は、きっちり教えてもらっていた」と振り返る。それでも「お父ちゃん子でお父ちゃんが好きで仕方なかった」。結婚を機に実家を出ると父は「秀太郎…、秀太郎」とさみしがった。

秀太郎は養子に愛之助を迎え、歌舞伎の普及を願って後進の育成にも力を注ぐ。「今の若い人たちには頑張ってもらいたい。そのためには引退しないで脇に出る。出ているといろいろ注意できる」と語る。

「若い子がいろいろ聞きに来てくれてうれしい。教える時、ひっぱたくなんてとんでもない。よその子に限らずうちの子も。私、子どもいな…、あ、愛之助ね。あの人はあの人なりの生き方してますけど」

人間国宝になることで自分の役者道は間違っていなかったと胸を張った。これからも秀太郎は芸の継承に尽力する。【星名希実】