ほら吹き漫才を確立させた漫才師、故横山たかしさん(享年70)をしのぶ会が6日、大阪市内のホテルで行われ、酒井くにお(71)とおる(68)、正司敏江(78)ら芸人約700人が出席。式を松竹芸能とともに主催した相方の横山ひろし(72)は、涙ながらに「たかし、ひきょうや」と弔辞を読み、亡くなる直前の秘話を明かした。

たかしさんは14年3月、ヘルニアをともなう腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症を発症。昨年1月にも腸腰筋膿瘍(ちょうようきんのうよう)の手術を受け、「48億円」とうそぶいた金ピカ車いすで漫才復帰。ただ、体調を整えるため、今年に入って休養していた。

式を終え、取材に応じたひろしによると、休養を切り出したのは、自分だったという。

「やっぱり本当の『たかし・ひろし』の漫才じゃない。悔しかった。だから『あと3カ月待って、舞台の上に立てなかったら漫才やめよな』と言うたんや」

たかしさんはリハビリに努めたが、今年4月ごろから体調が悪化。6月1日に多臓器不全のため、亡くなった。ひろしは「元気に向かってると思ってた。僕が会いに行くと、(リハビリを)せかしてるようで、行けんかった」。ところがある日、3日連続で、たかしさんの夢を見て、見舞いに訪ねた。すると、衰弱していた相方がいたという。

「90歳まで、ほら吹き漫才したかったな」と話し掛けると、たかしさんは、ひろしの目を見つめ「ありがとう」を繰り返し、その数時間後に息を引き取った。

師匠の故横山やすしさん(享年51)にもよく怒られていたたかしさん。ひろしは「うまいこと会わずに逃げてるかな。会うたらまた殴られるで」。こう言いつつも、別れの実感がなく「まだ病院にいてるような気がする」。ポツリと漏らした。

これには、自らも足を悪くし、つえを使っていた酒井くにおが「いてるよ。心配やから、その辺にいてるよ」と声をかけた。そのくにおのもとには、電話魔のたかしさんが、毎朝8時定時に電話をかけてきた時期があった。くにおは「目覚まし時計みたいに! あれ、何なんか、教えろ!」と、天国のたかしさんに迫った。

また、たかしさんらの先輩で、男女コンビ「正司敏江・玲児」で一世を風靡(ふうび)した漫才師、正司敏江は、たかしさんを「ええ子やった。仕事のこともよう知って(理解)してるし、スパッと物事言うてくれるし。ほんま、一番ええ子やった。寂しいな」と言い、肩を落としていた。