「胃がんが肝臓に転移しました」

実家のそばに住む姉からLINEが届いた。

91歳の父親と87歳の母親をほったらかしにしているだけに、一瞬、どっちがと思ったが、実家のチワワのことだった。

もう17歳。人間なら立派なお婆ちゃん。寿命なのかと考えたが、毎日のように接している姉や両親にとっては、立派な家族。実家に寄りつかない長男坊の記者よりは、よっぽどかわいいらしい。完治を目指して、大きな病院に転院することになった。

郵便ボックスを開けると、この時期は毎日のように喪中のはがきが届いている。ネット、メールの時代とあって、かつてよりはだいぶ少なくなったが、それでも年賀状のやりとりは200通近い。かつては毎日のように顔を会わせていた、OBとなった会社の先輩の状況を知るには年賀状が一番だ。

今年1年は暗いニュースが多かった。芸能界的には闇営業騒動、薬物逮捕と大きな社会問題になった。

そんな中で、今年の取材の中で楽しかったことを思い浮かべると、深田恭子とサーフィンの話をしたとか、新木優子がたくさんしゃべってくれたとか、きれいな人がらみになるが、なんと言ってもナンバーワンはフリーアナウンサー古舘伊知郎に、プロレスラーのジョニー・パワーズの話を聞けたことだ。

アントニオ猪木が新日本プロレスを立ち上げた1970年代初頭から半ばにかけてのライバル。後に新日本プロレスの金看板となるNWF世界ヘビー級王座をもたらした。

鍛え上げられた肉体を持つイケメンで、冷徹なファイトぶりから死神と呼ばれた。パワーズロックと呼ばれた、相手の足を組んでから自分の足を滑り込ませる変形の足4の字固めは“倍の威力を持つ”ということで「8の字固め」と呼ばれた。きれいなカーリーヘアーをしていたが、後にそれはカツラだったことが判明している。

テレビ朝日のプロレス実況アナとして一時代を築いた古舘に、パワーズのファンだったことを話すと「実況のために1度、8の字固めがどんな技なのか掛けてもらった。もちろん形だけね。そしたら、あいつキュッと力を入れてね…」と、かつてのプロレス少年にとっては夢のような、できごとだった。プロレスが地上波のゴールデンタイムで20%以上の視聴率を取ることも夢ではなかった時代の話だ。

その古舘は今月2、3日に東京・新宿LOFTでトークライブ「戯言(ざれごと)」を開催。実に2時間以上にわたり、流行語大賞、桜を見る会、進次郎&滝クリ、ラグビー、オナニー、哲学、仏教とノンストップでしゃべり続けた。会場には若者から熟年まで“古舘マニア”が詰めかけた。若者と、かつてのプロレス少年では微妙に笑うツボが違うのが面白かった。

また新たなパワーをもらえた。今年の残りも1カ月足らず。頑張れそうな気がした。