4日放送の、とんねるず石橋貴明(58)がパーソナリティーを務めるトーク番組「石橋、薪を焚べる」(深夜0時40分)に脚本家・坂元裕二氏(53)がゲスト出演する。

坂元氏は1987年(昭62)に「第1回フジテレビヤングシナリオ大賞」を19歳の若さで受賞。91年に「東京ラブストーリー」が大ヒットして脚光を浴びた。その後もトレンディードラマだけでなく、「Mother」(10年、日本テレビ系)、「それでも、生きてゆく」(11年、フジテレビ系)、『カルテット』(17年、TBS系)など多岐にわたる脚本を手がけ、常に視聴者を魅了し続けている。

坂元氏がテレビ出演するのは、18年11月のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」以来1年9カ月ぶり。ドキュメンタリー以外のテレビ出演は初めてになる。

石橋との出会いは33年前。坂元がヤングシナリオ大賞を受賞した直後のことだという。今回の出演に至った経緯、33年ぶりの再会の思いを燃えさかる炎を間に挟んで語り合う。

坂元氏は高校卒業後、就職も進学もせず、フリーターだった。当時18歳の坂元少年が毎週楽しみにしていたのが、深夜のラジオ「とんねるずのオールナイトニッポン」だった。とんねるずが大好きだった坂元氏は翌年、「第1回フジテレビヤングシナリオ大賞」に応募する。

「ヤングシナリオ大賞」を受賞して、19歳で脚本家の仲間入りを果たして上京した坂元氏。ある日、当時のフジテレビドラマ制作のスタッフに、六本木の店に誘われると、そこに石橋が現れた。それは本当に短い時間だったという。当時の様子を坂元氏が語る。

脚本家デビュー4年後の91年には「東京ラブストーリー」が大ヒット。石橋は「すごろくでいうところの上がりじゃないの?」と問い掛けるが、坂元氏には、その実感は全くなかったという。脚本家を仕事として生きていくかどうかにも疑問を持ち、一度は書くこともやめていたという。石橋は「そんな人生ある?」と驚くが、坂元氏が再び書くことを決意したきっかけがあった。

石橋の「発想ってどこから生まれてくるの?」という質問には、まさかの意外な答えが。そして脚本を書き続けるために坂元氏が心がけていることや、執筆中の生活についても語る。そこには石橋の想像もつかないような、驚くことばかりがあった。

坂元氏は「脚本家は基本的に、つらいんです」と言う。そんな坂元氏が楽しいと感じる瞬間とは、そしてそこにも脚本家ならではの発想があった。「基本的に欲はない」と言う坂元氏だが、ぜひ、成し遂げてみたいということを明かす。

収録を終えた坂元氏は「『プロフェッショナル 仕事の流儀』以外でテレビに出るのは、初めてなんです。でもここで断ったらお礼も言えないですし。あまり何も考えずに今回の出演の依頼を受けました」と話した。

石橋との再会については「脚本家としてのお話があまりできなくて申し訳ないと反省しています。石橋さんが場の雰囲気をつくってくださったので、緊張はしなかったですね。あの当時、六本木で会ったことも、本当に深夜に30分ほどの時間で、覚えていてくださっていたことには驚きました」と振り返った。

火を挟んでのトークについては「僕もキャンプは好きで、よくやります。キャンプ場でたき火をして飲むお酒やご飯は絶対においしいと思っているので、まだやったことのない人にはおすすめします。たき火があると親しい空気が流れるし、気持ちよく話ができますね」と話している。