18年に大ヒットした映画「カメラを止めるな!」を輩出したENBUゼミナールシネマプロジェクトの最新作「河童の女」(辻野正樹監督)が30日から東京・アップルリンク渋谷にて上映される。

同作で主人公の兄役を演じた俳優斉藤陸(29)がこのほど、日刊スポーツのインタビューに応じ、映画への思い、自身の異色キャリアについて語った。

7月に東京・新宿で封切りされ、大阪、愛知などでの上映を経て東京に戻ってくる。カッパが出るという川辺の民宿を舞台に、トラウマを抱えながら懸命に生きる人々が描かれている。辻野監督が51歳にして初めて挑戦した長編映画だ。

斉藤は「演者は公募で、450人くらいの中から、まず、80人くらいを選びます。ワークショップというお芝居を一緒にやりながら選抜していく形で、最終的に16人になるという選ばれ方でした」と振り返る。

16人の中から配役を決めるワークショップもあったといい、準主役ともいえる主人公・柴田浩二の兄・新一役に選ばれた際は「ほっとしたっていうのと、心の中でめちゃめちゃガッツポーズしました」。

斉藤は、弟に実家の民宿を任せて上京するも、うまくいかず、友人から借金をしたり、お酒を飲んで騒ぎを起こしたりと“どうしようもないクズ男”の新一を好演している。「基本、クズなんですよね、僕も(笑い)。基本的にクズで破天荒な人生を割と生きてきたので。共通しているポイントはあるかなって感じていた。役作りはあまりしていない。プラスアルファでクズを上乗せしたくらいです」。

この映画の魅力についてひと言で「人間愛です」。「ちょっと語りますよ」と前置きし「ワークショップで選ばれた演者、監督、プロデューサー、スタッフさんの映画への情熱を感じられた作品。その熱量っていう意味で、あんまり他の映画にない、演じている人間としての愛とかが凝縮されていると思っていて。監督も1人1人のキャラクターを目立たせて、『河童の女』で記憶に残っていない役ってないと思うんです」。さらに「演者全員でチラシ配りやお店にポスター貼りに行ったりした。そういう意味でも、人間愛が詰まっていて、普通の商業映画とはちょっと違うんじゃないですかね」と語り、「とってもすてきな映画だっていう自信がある。届けばいいなってずっと思っている」と話した。

北海道・札幌に生まれた斉藤は幼い頃からテレビスターになりたかったという。中3の頃から東京の芸能事務所に応募し始めた。「高2の時にある事務所に引っかかったんですよ。その勢いで親を説得し、高校は卒業しておけって言われたので転校手続きをして上京しました」。仕事は多くなく、アルバイトなどをしながら生計を立てた。演技経験もないため現場では怒られることも多かった。「数年は東京が楽しくて、辛くはなかった。でも、22歳くらいから、大学進学した友達が就職し始めて、『最初に行ったはずなのに、何か追い越されたな…』って。何したいんだっけ、どうなりたいんだったっけ、と自分と向きあい、病みました。ピークは24歳でしたね」と悩んだ過去を吐露した。

24歳の時に「全部環境を変えないとって思ったんですよね。自分自身と環境をリセットしたいって思った」。俳優をやる上で信念がないことに気がつき、「漠然とアメリカに行きたい、エンタメの街ニューヨークには一体全体何があるんだって興味があって。世界各地から来ているから、いろんな価値観を吸収することができて、コスパがいいと思ったんです」。語学学校の学費を工面し、残った貯金10万円を握りしめて渡米した。家賃3万円の窓無し3畳の地下室を借り、アルバイトをして生活した。

「ニューヨークでは興味をもったこと全部にトライしようと決めた。自分のコンテンツが作りたくて『ワンフレーズシアター』という日常生活で使える英会話のフレーズをテーマにした短編ドラマを作っていました」。仲間を募って制作し、YouTubeで配信した。

2年ほどたって映画の本場ハリウッドへ移る。「お芝居でチャレンジしようと思った。オーディションを受けて、ワークショップやレッスンを受けたり」。語学の壁も感じたが、圧倒的な熱量にカルチャーショックを受けた。「その業界を目指しているパイが全然違った。カフェ入ったらみんな脚本書いているみたいな。タクシーにたまたま乗ったら運転手が俳優とか。目指している熱量が圧倒的に違うっていうのを直に感じた。プロデューサー、監督、役者がみんなフラットで対等。プロフェッショナルが集まっている。圧倒的に楽しくやっているなって思いました」。

監督やプロデューサー、俳優らが声を掛け合って始まる作品作りに参加し、一気に価値観が変わった。

「俺はここに必ず戻ってきたいって思いました。戻ってくるためにも、日本で地盤を作らなきゃって。このプロフェッショナルに入りたいって思ったときに日本で役者としてのプロフェッショナルを作らないとって思いました」。18年頭に帰国し、オーディションを受けているさなか決まったのが「河童の女」だった。

信念を求めてアメリカへ行ったが、「楽しませたい、喜ばせたいということに気付いた」。いつの日か売れるために必死になっていることに気づいた。「あっちに行って、本当のエンタメに触れて、楽しんでいるお客さんの顔見るのがオレの幸せと気づいた。一方的にお芝居をやっていても意味がない。お客さんがいないと意味がない。そこに気づいて改めて奮闘中です」。

今年の12月に30歳を迎える。今後の目標を問うと「より多くの人たちを楽しませるような作品に出たい。親とかが見ている朝ドラだったり大河ドラマだったりとかは絶対出たい。そのステップを踏んで、日本の人たちを楽しませる作品に出続けながら、日本だけじゃなくて、世界の人たちにそういう影響を与えられる俳優になりたいというのが一番のゴールです」と力強く誓った。