東映会長の岡田裕介(おかだ・ゆうすけ)さん(本名岡田剛=おかだ・つよし)が18日午後10時58分、急性大動脈解離のため東京都内の病院で死去した。20日、同社が発表した。71歳だった。

京都府出身の岡田さんは、東映社長、会長を歴任した岡田茂さんの長男。広告代理店か映画のプロデューサーを目指していたが、慶大商学部商学科在学中に京都のバーでスカウトされ、69年に日本テレビ系「レモンスカッシュ4対4」で俳優デビュー。70年の「赤頭巾ちゃん気をつけて」(森谷司郎監督)には、父の茂さんが当時、東映の映画製作本部長であることを隠して、一般として5500人のオーディションに応募。主人公の薫役を射止め、映画デビューした。当時は大学2年生だった。父の会社のライバル社である東宝と、同年8月に俳優として年間3本以上の本数契約を結んだ。石坂浩二と似ていることも話題を呼んだ。

その後、森谷司郎監督の作品を中心に出演していたが、25歳だった74年に映画「吶喊」(とっかん)で、岡本喜八監督から主人公の万次郎役での出演と兼任でプロデューサーとして指名され、当時最年少のプロデューサーとして1人立ちした。80年には、高倉健さんと吉永小百合が初共演した映画「動乱」(森谷司郎監督)などを手掛けた。

88年11月に東映に入社し、90年に東京撮影所長に就任。取締役、常務取締役を歴任し02年に社長、14年には東映グループの会長に就任。14年5月~日本映画製作者連盟(映連)の会長、20年には日本アカデミー賞組織委員会の名誉会長に就任するなど、映画業界の顔でもあった。

吉永が主演し、現在、撮影中の「いのちの停車場」(成島出監督、21年公開)の製作も陣頭で指揮を執っていたが、その完成を待たずして急逝した。