昨年12月30日に生放送された第62回日本レコード大賞で、「恵比寿」(作詞作曲・吉幾三)を歌う真田ナオキ(31)が最優秀新人賞を受賞した。昨年デビューした、いわゆる“ド新人”ではないが、新人賞の審査基準は「対象年度内において初めて顕著な活動をし、大衆に支持され、将来性を求められた歌手に贈る」。まさにその基準にぴったりの受賞だった。

真田の声を初めて聴いた人は誰もが「すごい声だね」と言う。真田の実家はカラオケ店を経営し、身近に音楽があったが、学生時代は野球、空手、ボクシングとスポーツに専念した。

衝撃的な転機が訪れた。11年3月11日の東日本大震災。21歳のサラリーマンだった真田は、被災地を訪問して、被災者に寄り添って歌う多くの歌手の姿をテレビで見た。歌の力を感じた。子供のころからすぐそばにあった音楽が、一気に身近になり「歌手になる」と決めた。

とは言っても一からのスタート。「人々に聴いていただける声を、自分だと分かってもらえる声をつくりたい。上っ面を歌うのではなく、底の方にある、濁った部分をも歌える歌手になりたい」と思った。そのためには喉をつぶすと決意したのだ。村田英雄が海で潮風に向かって叫んだと聞くと、定期的に海に出向いて叫んだ。強い酒が効くと知ると、実家のカラオケ店のお酒で連日うがいした。長渕剛もやっていたという方法である。さらには刺激の強烈なトウガラシを食べ続けた。「朝起きて血痰(けったん)を吐いたり、水を飲むとしみたりし始めました。うれしかった。無駄じゃないんだと」という。

サラリーマンを辞め、実家のカラオケ店に勤めながら、声をつくった。時には喉のつぶしと歌唱練習を兼ねて、6時間以上、大声で歌い続けた。3年後の14年に老舗レコード会社の新人オーディションを受けた。入賞は逃したが、別の会社から声が掛かった。そして師匠となる吉幾三に会えるチャンスをつかみ、最優秀新人賞にたどりついた。真田は「年齢ごとに味のある声になって、僕の歌で咲いた笑顔の花に囲まれるのが、僕の夢。声の完成は、引退するまでないと思います」。

そんな真田の栄誉に水を差すような出来事が、レコ大生放送中にあった。最優秀新人賞の発表で、候補だった女性グループ、豆柴の大群の1人が、卒倒するように倒れたのだ。真田の名前が呼ばれたのとほぼ同時。感激の真田も一瞬、そちらを見た。表彰式後、司会のTBS安住紳一郎アナウンサーが「(他の)番組の密着で、お芝居でそういう演出だったようです」という趣旨の釈明をした。

私は長い間、レコ大を取材しているが、受賞者発表の最大のクライマックスで、これほどの愚行を見たことはない。最優秀新人賞は人生で1度きり。真田にとってはまさに人生で1度きりの栄誉を手にした場面だった。あの愚行は、9年もの間、のどを必死でつぶして頑張って来た真田の晴れ舞台だけでなく、レコード大賞の歴史をも汚した。どんな理由があろうとも、許されない行為だった。【笹森文彦】